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「真昼のやうな満月の下」表

隣町から汽車に乗り、またこの村へと帰ってくる。
駅に乾いた靴音が一つ。
乗降したのは私だけ。
私を降ろした汽車はもう、あくせく次の町へと走り出していた。
…汽車は楽だな。
敷かれたレール沿って適当に汽笛を鳴らし、
それらしく走ればいいのだから…。
私は汽車のケツを眺めながら、とんちんかんな事を考えていた。
いやはや、
こんなになってしまったのは全てこの暑さのせいである。
シャツの襟元を広げつつ、蝉時雨に舌打ちした。


「……、」
駅舎内の待合室には、本を読む男が1人いた。
私を待っていただろうに私に気づかず、嬉々として次の頁へと手を伸ばしている。
ため息にも呼びかけにも気づかぬ様子なので、
もはやそのまま立ち去ろうかとも思った。
…ふと、耳元でちりんと風鈴が揺れる。
私はそいつのしっぽを掴むと、警笛が如く打ち鳴らしてやった。
「!!」
びくりと身体を弾ませて、やっと我に返る水上。
タダイマと浴びせるように告げれば、
オカエリと存外機嫌良く返事した。
「なんでここにいる、」
「帰ってこれるか心配で。よかった、鉄道がとまっていなくて」
本を閉じると尻にしまい、私のそばへ寄ってくる。
荷物を持とうという彼を振って、私は先に駅舎を出た。

影から一歩出るだけで、仇と言わんばかりに日に差される。
私は右手で額に陰を作りながら、立ち上る入道雲を見上げた。
もくもくもく。
たいそうな泡立ちだ。
「……」
「今夜は雨になるかもな」
期待したような声音でそう言う水上。
日陰から自転車を引っ張りだすと、ぽんぽんと鞍部を叩いた。
そうして鞍にまたがると、緩んだ袖をきつくまくり上げる。
「カバン預かるよ」
「いい」
「不機嫌だな、」
「いいや。ご機嫌だ」
どすんと自転車の荷台に腰掛ける。
私の右手を勝手にとると、自分の腰に巻き付かせる。
むすりとしつつもきつく握れば、自転車はゆっくり走り出した。

夏のあぜ道をオンボロ自転車が行く。
水上が近所の爺さんから譲り受け、数年ぶりに日の目を見た老骨だ。
私は絵のように留まる入道雲を見上げながら、水上の背にぽすんと頬をぶつけた。
「今日はどうだったんだ」
「……」
「…。そうか、ダメだったか」
「おい、ヤッパリってなんだ!ヤッパリって!」
「ヤッパリなんて言ってないだろう、」
「いいや!今貴様は心で思った」
「うーん。ちょっとだけな」
私は十日前、勤めていた新聞社をクビになった。
一年と三ヶ月前にこの村に戻ってきてから、最初に見つけた仕事場だ。
私の働きぶりはなかなかだったと思う。
仕上がった記事に目を配り、答案のない間違い探しをする。
そんな仕事をこなしているうちに集中力と推敲力が認められ、ついには小さな連載を任されることとなった。
新聞の余った隙間を埋めろというのだ。
アッと目を惹くフェチズムを晒せと言われたので、
私は気温によって変化するカルスピの甘味についての研究を書き殴った。
編集部長はおおいに喜んでくれた。
意味ガ分カランカラコソ素晴ラシイと無責任な太鼓判を押してくれた。
その新聞が世に出されたのは十日前。
私が解雇を言い渡されたのは十日前。
なんと私の新聞社は、カルスピと敵対する三ツ矢シャンペンの提供により成り立つ会社だったのだ。
だから私が入道雲を睨むのは、
三ツ矢シャンペンの泡立ちを思いだしてしまうからである。
「…散々だ」
「でもあの記事は傑作だったよ。ぬるいほど人は甘味を強く感じられる、なんて。玉森らしい面白い記事だ」
「だが私は辛酸を舐めた」
「今日は何度頭を下げた?」
「……」
私は解雇を告げられてから、休まず会社に通った。
そして社長に頭を下げ、これからの働きぶりで挽回すると喚いた。
だが……。
「さっきの地震で何もかもめちゃくちゃだ」
「……、」
太陽が真上に昇る、2分前。
それは大きな地震が町を揺らした。
机のあらゆるモノが崩れ、他人顔をしていた社員たちも目をひん剥いて声を上げ。
鎮まったと思えば、帝都からひっきりになしに電話が鳴る。
君ニ構ウ暇ハナイ!と追い出されてしまった。
むしろあんな地獄に長居できようか。
「明日は別の新聞社に行く」
「休んだらどうだ、」
「いいや。私はこの地震を記録するために記者になろうと決めたのだ」
「カメラを持って帝都に乗り込むなんて言うなよ」
「十日前まではそのつもりだった」
「文士的欲求がまさかjournalismにすり替わるとはな…」
「じゃーなりずむ?」
それきり何も言わない水上。
この苛立ちをどうぶつけてやろうかと思ったが、
今はただの八つ当たりにしかならないだろう。
私は水上の背にぐりぐりと頭をなすりつけた。
「疲れた」
「休め、」
「休む暇などあるか。明日の会社がダメなら隣町の隣町の新聞社だ」
「…頑張れよ、」
「長イ道ノリだと!?この野郎~!!」
「だからそんなこと言ってないよ、」
今や目に映る全てが退廃的に見える。
ここに来るまでだってそうだ。
客1人を降ろすためだけにわざわざ停車する汽車のあほらしさ。
男二人を乗せ悲鳴を上げる自転車のむなしさ。
綺麗なだけで生かさるひまわりという雑草の狡猾さ。
ひまわりなんて、こんなに咲かせて何になるというのだろう。
空は青くとも夏の暑さを冷ましてはくれない。
だのに水上は文句も言わず涼しげに、車輪をこぎ続けた。
「……」
引っ掻いてやりたくなる。
私は彼の背に唇を当てると、熱い呼気を吹き付けた。
「熱っ!」
「私も熱い。だからもっと早く漕げ。風を切れ」
「そうは言っても…」
もう一度熱風を当てれば、ピンと背筋を伸ばす彼。
それから少しだけ、自転車を軋ませた。
「あぁだめだ、壊れる」
「軟弱自転車め、」
いつか壊れるその時は、私がいない時を願う。

私の家の前につくと、自転車は緩やかに速度を落とす。
静止する前に飛び降りて、荷台を強く押し走らせた。
「日が暮れたらまた来る」
「…あぁ」
私を降ろして身軽になった自転車。
水上は立ち上がってペダルを漕いで、一層速度を上げ遠ざかっていった。
私はその背が見えなくなるまで見ていたが、
結局彼が振り返ることはなかった。
…彼もこれから家に戻るのだろう。
夏の酒造家の仕事がどんなものかはわからないが、
あのとんぼ返りを見ていれば急いていたのがわかる。
私は延ばしていた背筋をゆるめ、のそのそと玄関に向かった。

いやはや、すっかりうだってしまった。
疲れてはいるものの、靴だけはきっちりと玄関に並べる。
居間に戻れば寝室との襖が開け放たれたままで、要するに今朝から時が止まっていた。
見なかったように襖を閉める。
今朝使った茶飲みに今朝用意した茶を入れる。
私の喉は、それを冷たいと感じられるほど乾いていたらしい。
灯りを点ける気力もなかった。部屋を暴くに軒先の光だけで十分である。

それからほどなく立ち上がり、台所へと向かう。
とにかく飯だ。
手早く竈に火をおこし、暖まるまでに材料の野菜を扱う。
まな板に載せた大根を私をフった社長に見立て、
殺すつもりで刃を立てた。

そうして作ったオムレツライスを持って居間に戻ると、
熱いうちに胸へとかき込む。
するとどうだろう、今日あった嫌な事何もかもが綺麗さっぱり浄化され、
さっきまで呪っていた社長の顔も、夏の庭にゆらゆらと消えていく。
…何もかも許してしまおう、
何より私が許されたいから、
人を呪うことはもうやめよう。
そんな心地になるのである。
私は箸を置くと、黙祷するように両手を閉じた。
人類皆、同じ考えであればいいのに。



「ごめんください」

そんな静寂に、艶やかな声が入り込んでくる。
まぶたを開ければ、庭の端に女の影が立っていた。
私は机に足をぶつけながらも立ち上がり、縁側へと駆け寄る。
「!!」
「この暑さにやられてしまって…できればお水を一杯」
「…!」
「…って、」
思慮深く伏せられていた目がぎょっと見開かれ、
ふいに力が抜けたのか、胸に抱えていた荷物を落としかける。
…私にも手荷物があれば、この場にまき散らしていただろう。
「…奥さん…!?」
「タマさんじゃあないの!?」
「なんでここに…!?」
今度は意図して風呂敷を落とす奥さん。
そうして今度は不機嫌そうに口を尖らせた。
「ミナさんのお荷物を届けに来たのよ」
「わ、わざわざ……!」
重箱のような骨格から推測するに、風呂敷の中身は本であろう。
そんなことより…。
「水を持ってきます!」
「…助かるわ」
茶飲みを差し出せば奪うようにしてとられ、
彼女はのど仏を高鳴らしながら一気に飲み干す。
男のように深いうなり声を上げたが、
最後にコホンとかわいい咳をついた。
それから足元の本を改めて顎でさす。
「それよりあなた暇かしら?この荷を運ぶの、手伝って頂戴」
「水上の家まで?」
「そうよ。私には少し、重すぎるわぁ」
「……」
なんと白々しい発言であろう。
垣根の外まで追いかければ、彼女はもう道の先を歩いている。
漆塗りの高価な扇子で扇いでいるが、
漆黒ゆえ熱を吸収し、とても涼しそうには思えない。
「…!」
……ふと、別の視線に気がつく。
ふっと振り返れば、そこにはいつからか青年が立っていた。
誰かさんのようにポケットに手を入れ、
誰かさんのように気だるそうに、
けれども愛らしい表情は変わりなく……。
「治司くん!!!」
「ボンジュール」
「!?」
私とこの治司くんはまだソレホドの仲でもないはず。
けれどその笑顔に当てられて、私もニ、ニヤリと微笑み返した。
まるで人を追い詰めるような速度でこちらに近づいてくる治司くん。
私の目の前に立つと、よりその口角を上げた。
「去年はさぁ。突然いなくなっちゃったからびっくりしたよ」
「ご、ごめん、なさい……」
「謝るなら僕じゃなくてアッチじゃない?」
そう言って奥さんの背を見る治司くん。
私は低く風呂敷を引きずりながらも、急いで奥さんの横に駆け寄った。
「…怒っていますか?」
「なんのこと?」
「何も告げずに、帰ったことです」
「いえ別に。最初から期待なんてしていませんから」
「にゃはは…」
「ヤハリとしか、」
「にゃっはは……」
冷笑を当てられるかと思いきや、
遠くを見据えたままくすりと微笑まれた。
「戻ってくるんじゃないかと思ってたわ」
「……、」
「でもいつまで経っても音沙汰ないし。お電話したみたら、ミナさんたら全部売ッテ下サイっていうのよ」
なんと無責任な。いや、私も人の事を言える立場では……。
「全部は持って来られなかったけれど。もともとのお荷物だけはお返ししに来たってワケ」
「ありがとうございます…っあ!ちょっと!」
「それではわたくし、お先に行くわね」
扇ぐ腕も疲れたのか、扇子を日よけに顔を隠す奥さん。
長く日差しに当たっていたくないらしく、さらに足早に歩き出した。
やはりたくましい脚力に唖然としていると、今度は治司くんが私に追いついた。
「許して貰えたの?」
「…一応な」
「つまんないの。僕はタマさんの泣きっツラを見に来たのに」
「君って奴は本当に……」
容赦ない性格だな。
唖然とする私の顔でも満足だったのか、彼は変わらずくすくすと笑った。
「まぁでもさ。タマさんたちに一応感謝してるんだよ」
「?」
「さっき大きな地震があったでしょ。
 いつもはぐっすり寝てる時間なんだけど。こうして出かけたオカゲでほら無事だ」
「…、」
「メルシー」
「というか今日から新学期だろう。学校はどうしたんだ学校は」
「タマさんこそ仕事はどうしたの?」
「!」
「なんでこんな時間に家で暇してたの?」
「うううるさい!」
「朝から寝てたの?」
「ねっ寝てなどいない!」
「お昼寝かな?それじゃあ邪魔して悪かったね」
「だから別に昼寝など……」
「元気そうなタマさんの顔が見られて何よりだよ」
…何よりなのは、私のほうである。
私は立ち止まれば、治司くんは不思議そうに振り返った。
「?」
「……あいつらはどうしてる?ふ、不正規連隊のことだ」
「なんでタマさんが……」
「……、」
「まぁ、どこで仲良くなったか知らないけど、奴らは元気だよ」
「今日の地震…無事だったか?連絡はとれたか?」
「みんな「秘密基地」にいたから無事だった」
「秘密、基地、」
「梅鉢堂のことさ。
 タマさんが出て行ってから廃墟になってたから。僕たちが占領してやったんだ」
「そ、そうか……よかった!」
「しばらくは僕たちのものだから。2度と帰ってこないでよね?」
「あぁ。好きに使ってくれて良い!というか住んでくれたってかまわない!」
「意味わかんないの」
突然ひらりと近づいてくる治司くん。
私が必死に持ち上げていた荷を、まるで羽を扱うように奪っていく。
「な、治司くん!」
「文弱は家にすっこんでな!オヴォワー!」
「!」
星が飛ぶような目配せをしてみせる治司くん。
そうして自身も鳥のように、ご機嫌な足取りで奥さんのあとを追って行く。

置いてけぼりにされた私は未だ余韻を飲み込めず、呆然と立ち尽くしていた。
…治司くん、変わったな。
まず背が伸びた。
すらりとした手足がこれからのさらなる成長を予感させる。
そしてなにより、声が変わった…。
彼はまだカフェで働いているのだろうか。
だとしたら店の客層も変わってくるだろう。
それともまだ女装を……。
「……、」
本当の意味で、置いてけぼりにされた気分である。

 


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治司くんの言っていた通り私は立派な文弱である。
あれから私は縁側に寝転がり、水上のための原稿を書き殴っていた。
短編が一つ出来上がる頃には空が夕闇色になり、
ヒグラシと夜の虫の音が入り交じっている。逢魔が時である。
ふと耳を澄ますと、カラカラと車輪の回る音が近づいてきた。
水上は騒々しく…もちろん本人は意図していないけれど騒々しく。自転車を表に留める。
垣根の内に入ってきた彼は、昼と変わらぬ笑顔を見せた。
「さっき奥さんが来たよ」
「私も会った」
「帝都に帰る足が無いから、しばらく泊まってくみたいだ」
「客人が来ているならこんな所で油を売るな」
「今はただの酔っ払いだよ」
半ば逃げてきた、というわけか。
私はマァ座レと床を叩いた。
「それにしても、治司くんの成長には驚いたな」
「信じられんことだ…!」
「背も玉森より……」
「いいや、私のほうが勝っている」
「それはどうだろう、」
「態度のデカさが彼を大きく見せるのだ、幻想だ」
「…そういうことにしておこうか」
そう言いながら、伏せていた原稿を手に取る水上。
了承なく読み始める彼の無遠慮さにはたびたび驚かされる。
…会津に戻ってから、私はたびたび短編を仕上げ、
水上に読ませている。
己を蝶と勘違いする沈丁花の話。
雪ざらしになった地蔵が、寒風モ嫌イジャナイと強がる話。
…目に付いた光景や景色や感じた季節をいちいち大切に切り取るのは
まるで刹那的に生きているようで私らしくない。
そうは思うのだが、今や深く考えることはやめにした。
水上が楽しいと言えば、それでいいのである。

今渡した物語は、
死体を食って人肉のうまさに気づいた犬が、
愛する主人を食おうか食うまいか日々葛藤する話だ。
読み終わった彼は、やはり嬉々として微笑んだ。
「猟奇的だ、罪無くして閉じ込められた牢獄の中でポケットに隠した一粒の乾パンに涙の味を知るような」
「うむ」
楽しかったんなら何よりだ。

するとそのうち、ぼたぼたと大きな雨粒が落ちてくる。
空はいつの間にか雨色になっていて、辺りにじっとりとした風が吹く。
…雨はまだ、私たちにとって「特別」な意味があった。
「…上がれ。窓閉めるぞ」
「そう言えば夕食は?」
「食欲がないのだ」
「そうか。腹も空かせてきてしまった」
「悪いが作る気力も今はない」
靴を引き上げ、室内に入る水上。
私はガラス戸を引きながら、いつの間にか暗い顔をしていた。
「一年働いていた出版社を解雇されたのだ。
 これからのことが不安になるのは当たり前だろう」
「何が不安なんだ?」
「生活の不安だ!……金が無ければ、生きていけない」
「そうか。…俺はずっと、早く辞めてくれって祈ってたよ」
「!?」
「もっと言えば、面接に落ちて欲しいとも思ってた。
 だから願ったり叶ったりだ」
「はぁ……?」
さも当たり前にそんなことをいう水上。
オハヨウとコンニチワのように発するから、私も思わず聞き入れてしまうところだった。
「…私に喧嘩を売っているのか」
「どう受け取られても良い。
 落ちて落ちて……俺のところまで落ちてきて欲しかった」
「…!?」
近づいてきたかと思えば、ふいに手を伸ばされ。首筋に張り付いていた髪を梳かされる。
ふわりと舞った酒の匂いに、私はしらっと目を細めた。
「酔っているな、」
「?あぁ、奥さんに飲まされたんだよ」
「こんな状態の水上を送り出すとは……、」
「こんな状態?大丈夫、俺は酔ってないよ」
声はしらふだがその言動はなんだ。
「ともかく、水でも飲んで頭を冷やせ。話の続きはそれからだ」
「俺は本当に酔ってなんか……」
「この匂いは四・五杯ではない!」
「そんなに匂うか…」
私の鼻が敏感すぎるというのもある。
かくも全てのガラス戸を閉め切ると、雨音が遠のいて部屋が妙に静かになった。
…私は彼の目をまっすぐ見られず、しばらくガラス戸と向き合ってしまう。
「私たちのこと……奥さんにはバレてないだろうな」
「あぁ」
「お前の家族には、」
「バレてないよ」
「な…ならいい、」
雲はどんどん濃くなって、部屋の奥に暗闇が滲んでいる。
お互いの顔も見えなくなるだろうに、
灯りを点けようというのは無粋だった。
…前述したが。
雨は私たちにとって、特別な意味がある。
だがそれを語る前に、私と水上が長らく友人であったことを思い出して欲しい。
友二人が揃った時、語り合うことといったら何か。
他愛ない日々の所感をだらだらと垂れ流すだけだろう。
…私は何より、その時間が好きだった。
「……、」
だからコウイウコトをするのは雨の夜だけにしようと決めた。
さすれば常にソンナ目で見合わなくて済むし、
何より音も、外に聞こえる心配はない。
ただ一つの弊害と言えば、雨の日というのがひどく……
…、いやらしいものだと感じる様になってしまったことか。
「……」
意を決して、というのは心意気ばかりで、
実際にはじりじりと彼の方を向く。
そうして私の方から、彼の頬に両手を添えた。
目を閉じて。
少しだけ背伸びをして。
その唇に触れる。
…一ヶ月ぶりの感触に、私も何も感じないはずがない。
全てがこの瞬間に帰結することは、昼に入道雲を見てから予感としてあった。
あの雲が倒れて、夜にはこの村に雨を降らすこと。
雨が降れば水上がやってきてくれるということ。
だからこの接吻も、私たちにとって突然のことではない。
「…、」
今度は私の頬を両手で包まれる。
背伸びした分だけ押し込むように、水上は私に身体を傾けた。
熱を持った、柔い舌。
酒が舌に染みいってしまっている。
私は力を失って、いつの間にか彼の胸に両手をしがみつかせていた。
…まるで雨音と競うように水音を立てる彼。
私の耳は彼の手の平で覆われ、淫らな音を脳まで響く。いや、響かされている。
「っ、…水上、」
「嫌か?」
「……、」
らしくないと言えば、らしくない。
「ごめん、やっぱり酔っているのかも知れない」
そうわかっていながらも歯止めを利かすという考えはないようで、
私のズボン吊りを腕のほうへとずらす。
それからシャツのボタンをひとつ外すと、水上は汗ばんだ私の首筋に顔をうずめた。
「身体、熱くなってる。…お前まで酔わせてしまったかな」
「わ、わからん…久しぶりな、せいかもな」
降っても夜の手前で止んでしまい、天気の気まぐれに振り回される事が多かった。
夜通しの雨かと思えば私が仕事で帰れず、
水上が一人待つこともあった。
自分たちで作った縄に、苦しめられているような気分だ。
すれ違っていると感じたことも、あった。
「布団でしよう、」
「……、」
さっきの台詞が本心だとしたら、聞けて良かったとは思う。
忙しくしてしまったのは私のほうなので、罪悪感がないわけでもない。
ただしゴメンと謝る問題でもないと思う。
…なので私は、別の誠意を見せることにした。
「!」
彼の足元に跪き、同時にベルトを外す。
たじろいだ水上はガラス戸に背をぶつけ、そのまま立ちどまった。
「たまには、その…口でしてやる!」
「いいよ、」
「したいからするのだ」
水上の手を払い、手際よい風に彼の性器を扱う。
まだうなだれていた彼だが、私が亀頭に口づければわずかに弾んだ。
「本当にいい、」
「だまってろ」
どこをいじられて嬉しいかは男の私がよくわかる。
弾力ある亀頭を唇で食みながら、飲み込んでいく。
…つもりが、根元どころか半分も口内に収まらない。
仕方なく口から放り出し、舐めるように舌を這わせる。
横から食んだりもしてみたが一向にたたず、当の本人は余裕ありげに微笑んでいる。
「くすぐったいよ、」
「真剣な私を笑うな」
「でも気持ちいい」
…気持ちいいなら、まぁそれでいい。
しばらくちろちろと舐めていたが
髪を撫でられ、すっかりこちらがほだされてしまう。
…なんだか思って居た展開じゃない。
それから水上は私の顔を遠ざけると、
私のもとに膝を落とし、顔を近づけてくる。
「ここでしようか。寝室よりは涼しい」
「そ、それもそうだが……」
水上は居間の座布団に手を伸ばすと、私の背に置く。
そうして私は、寝かせるようにゆっくりと押し倒された。
…薄闇に水上の青い目が揺れる。
とろけ出しそうなその揺らぎは、まるで炎の芯に思えた。
「…玉森、」
「…!…」
いっそう深い口づけをされる。
そうしながらも水上は、私の下腹部にも自身のそれを押しつけている。
…布越しに、お互いのそれが昂ぶっていることを感じられた。
「良い香りがする」
「…、」
「綺麗にして、待っててくれたんだな」
「おっお前のためでは……」
「愛しいよ、」
なんだか唾液が粘度をもって、飲み込む度に身体が熱くなっていく。
私は水上の身体を押しのけると、
自ら自分のボタンを外していった。
「…熱いから、脱ぐ」
「下は?」
「下も…脱ぐ、」
つい強ばった声を返してしまう。
私はいまだにこの雰囲気が気恥ずかしくて苦手だ。
こんな私に欲情する水上の意味がわからんし、
その気になってくる私の身体もわかったものじゃない。
水上が微笑むのは、そんな私の反応が面白いからなのだろう。
…するするとズボンを引き抜かれる。
シャツも脱ごうとすれば、そのまま胸に顔をうずめられた。
「…!」
肌を吸い上げ、痕を残されていく。
私の性器は彼の手の平に擦りあげ、暖められ。
指先は徐々に身体の裏へと伸びていく。
そうしてめどを見つけられると、入り口を柔く撫でられる。
…私の身体は簡単に、水上の指を受け入れてしまった。
「っ…ん……、!」
「本当はもういれたい。
 …でも久しぶりだから。ちゃんと慣らそう、」
私の心が追いついていないことを見抜いてくれた水上。
この心音を聞けば、当たり前か……。
だが身体はもう水上を求めて、彼の指ですら強く締め付けてしまっている。
「…来てくれ。準備、できてるから…」
「……、」
「欲しいんだ、」
雨脚が弱まっている。
今夜の雨も、長く続かないかも知れない。
だから……と。
水上は自身のそれを走り露で潤ませたあと、何も言わずに亀頭を押し当てた。
「…!」
押しのけられないように、彼の身体をひしと抱く。
最初を耐えればあとは簡単に、勝手に身体が飲み込んでいく。
私の身体は、彼の拍動を感じられるほど、隙間無くなじんでいった。
…彼の性器が根元まで。「ペン」では届かない身体の奥まで、水上のそれで満たされている。
水上は最奥を突いたまま、とんとんと腰を揺らした。
「っ…!ぁ、…みなっ…!」
「ずっと、欲しかったのか?」
「!、ん…!」
「一人でしてた…?」
「そっ、そんなこと……!」
「…俺もだよ、」
だんだんと律動が早まる。
それに合わせて露が溢れ、辺りに水音が響き渡る。
……雨はもう、止んでいた。
水上もきっとそれに気づいているだろうに、彼は私の泣き所を突き続けた。
…声を抑えきれない。
このままでは……。
「っみなかみ…!そ、外に聞こえ……!」
「誰も通らないよ、」
「でも……!!」
「誰にバレたっていい」
「!」
「一緒に暮らそう、」
こんな最中に一体何を…。
「ダメか?」
「は…!?」
「できるだけ、…そばにいたい」
優しい水上の声音に、思わず耳が赤くなる。
すると勢いはそのままに、性器を引き抜く水上。
下腹部から力が抜けた瞬間、どろりと彼の熱が溢れた。
…なお昂ぶっている彼。
私の片足を持ち上げると、横になったまま背後から挿入した。
「…、水っ…上!」
さきほどとは違う角度から、身体を広げられる。
ゆっくりと腰を回しながら突き上げられ、
心地よい場所を丹念に押しつぶされた。
「ぁ……っ、…!」
「…っ…、」
まるで熱を擦り込むみたいに、何度も抽送を繰り返されて。
思わず逃げ腰になろうとも、彼にひしと足を開かされた。
「いく時は…、見せてくれ」
「…!!」
気恥ずかしいと思うのに、せり上がっていく私の性器。
それを見て、水上も私の中で大きく膨らんでいく。
…水上に揺すられて、だらしなく跳ねる私の性器。
その羞恥心とが相まって、なぜだか胸の奥が弾む。
「っいっ…!!」
直接触れられてもいないのに。
突き上げられる快楽だけで、私はその場に射精していた。
水上は私の最奥につけると、余さず注ぎ込む。
……彼の根元がびくびくと脈打っている。
それとも私のめどがれん縮しているのか。
水上は私から身体を離さず、後ろから包むように一層強く抱きしめた。
「ぁ…、雨、止んだぞ、」
「もう少しこのままでいたい」
このままって。…挿れたままか。
それでもいいが、一ヶ月溜め込まれていたそれを全て注がれて、
心なしか腰が苦しい。
私はそっと身をよじらせてその腕から抜け出すと、
月明かりをさえぎるようにして彼の顔に影を落とした。
イツマデ寝テイル、とその頬をつつく。
すると彼は仕方なさそうに微笑んで、ゆらりと上体を起こした。
乱れた私の髪を正し、いつもの私を作ってくれる。
両手で私の頬を包むと、今度は優しく、口づけをくれた。
「さっきの答え、聞かせてくれないか」
「……、」
「俺もこの家に住みたい」
「私にお前を養う余裕はない」
「養ってくれなんて思ってないよ。…お前は仕事なんて見つけないで、俺のところで働けば良い。
 一日中、一緒にいたい。…朝も、夜も」
「私は……嫌だ」
水上を傷つけるつもりはない、
だから頬を包むこの手も、触れてくる唇も、払う気はない。
この言葉の意図がこんがらがって水上に伝わる前に、私はすぐに言葉を続けた。
「私が全部をお前に委ねたとする。
 食事も風呂も何もかもお前の金の世話になり、お前がいなくなったら生きられない私となったと、する」
「……」
「そんな時、もしお前が事故で使い物にならなくなったらどうする?」
「事故なんて…」
「私と初めて出会った時のことを思い出せ」
「5億年前か?」
「18年前のことだ!!」
水上は酒蔵で、桶に昇るための階段から足を滑らせて骨折した。
私たちが初めて出会ったのは18年前、他ならぬ病室である。
「骨折くらい……」
「打ち所が悪ければ」
「それは困るな」
「だから……そのだな。お前に何かあれば。この私が。お前を支えてやる。
 そのために私自身が自立せねばならんのだ……」
いつからか私は目線を伏せていた。
なお眼前に水上の顔があるわけで、この頬を包まれ、逃れられないわけで…。
ちらりと彼の表情を伺う。
優しく微笑むその顔を、私は思わず2度見した。
なんだその顔は。
「もし俺が動けなくなった時は、俺を殺してくれ」
「は、はぁ……?」
「橋姫は目にかける相手を失ったとき、一番近くの者に憑くんだ。
 だから玉森が時を戻してまた俺と……」
「馬鹿が。不慮の事故で即死だったらどうするんだ?その場に私が居なかったらどうする?」
「そ、即死」
「お前は運が悪いからな。近くに居た羽虫に橋姫が取り憑いてしまうかもな」
「だからお前が俺のそばにいてくれ」
「~~……」
「な、名案だろう」
私の陥落が近いとみたのか、機嫌良く笑う水上。
「それにとっくに俺は、お前がいなくなったら生きられないよ。
 ……ずっと、昔から」
「……」
昔。
昔と聞いて私が思い出せるのは、二十年と少し、生まれて今までの記憶だ。
だが水上の言う昔とは、私とは桁が違う。
私が魚で、水上も魚だった頃……。
水上が言うには、そういう記憶を持った人間は少なからず居たという。
ただ彼らは夢だと勘違いしたままでいるか。黙って生き続けるか。悟りを開いて他者に手をさしのべるか。
…あれから水上は、自ら過去を語ることはなかった。
まるで私となるべく対等でありたいように、
「5億年前」なんて突飛な台詞を発したことは無かったのに。
今日は何かが違うようだった。
水上はふいに立ち上がると、ガラス戸を開け外の空気を吸い込む。
縁側から庭に足をおろし、乾いた月を見上げている。
私もいそいそとズボンを履いて、彼の隣に足を降ろした。
「今日は、俺が玉森に出会った日の夜に似ている」
「?」
そう言って、ぷくりとあぶくを吐く水上。
「俺は道に迷って。水底に倒れ込んでいたんだ」
「魚がか?」
「魚がだ。
 そんな時、お前が俺のところにやってきた」
「……、」
「お前は俺と同種の、けど一回り小さい魚だった」
水上の足と、私の足の大きさを比べてみる。この差が覆ったことはないのか。
「俺はお前を食べてしまったんだ」
「へ……?」
殺したという話を、月に向かって嬉しそうに話す水上。
「人違い……いや、魚違いではないのか」
「声と顔でわかるんだ」
「魚に声も顔もないだろう、」
「でも魚は魚なりにわかるんだよ。鳥は鳥なりに。猿は猿なりに。
 だからどんな姿に生まれ変わっても、すぐにお前を見つけ出せる」
「なんだかな」
そう言う私の口からもあぶくが漏れる。
「お前のおかげで、俺は家族のもとに帰れたんだ」
「……」
「あの時俺は、大切なことを教えて貰ったんだよ。
 …そしてまた、思い出させてくれた」
ふいに私の方を向く水上。
水上が幸せそうな顔をすると、私はつい引っ掻いて困らせたくなる癖がある。
余計な事を言わぬようにと私は口をとがらせ、逃げるように月を見上げた。
「命は誰かに生かされているんだって」
「……」
「ありがとう」
「…その命、大事にしろ」
「あぁ」
「なんせ一人のものではないからな」
「これからも大事にするよ」
「なら…。いいのだ」
月が傾く。
私はまた、水上に身体を寄せていた。

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