「真昼のやうな満月の下」裏
夏の農道を自転車が行く。
むち打つようにペダルを漕いで、俺は村の駅舎を目指した。
自転車を置くと、勢い途切れずに駅へ飛び込んだ。
「……!」
駅は静かだった。
駅員は受付の向こうで突っ伏している。
耳を澄ませば寝息が聞こえ、
自分の呼吸を静めれば蝉時雨が聞こえてくる。
風鈴が、自ら身体を揺らした気がした。
「……、」
…先の地震は大きかった。
丈夫な蔵に居ながらにして危ナイと感じられたから、
これは大変な事だと外へ飛び出した次第だ。
立ち尽くしたままでいると、駅に汽車が入ってくる。
汽車は誰も降ろさずに、またこの村を遠ざかっていった。
白い蒸気が空に溶け、晩夏がまだまだ熱くなる。
兎にも角にも。鉄道は動いているようでほっとした。
待合室の席につき、俺は読みかけの本を取り出した。
玉森が帰ってくるまでには、読み終われるだろう。
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「!!」
鈴のはじける音がして、びくりと意識を浮かべた。
いつからかそこに玉森が立っていて、
しらけた顔で俺を見ている。
右手には愛用の茶カバン。
左手には風鈴の短冊。
タダイマと言われたので、
オカエリと返した。
「なんでここにいる、」
「帰ってこれるか心配で。よかった、鉄道がとまっていなくて」
帰ってこれない様子なら、隣町まで自転車を飛ばしていたところだ。
本を閉じると尻にしまい、玉森のそばに寄る。
荷物を持とうと手を伸ばすが、俺を見もせず先に駅舎を出た。
駅から一歩出ただけで、ぼんやり立ち尽くす玉森。
右手で額に陰を作り、立ち上る入道雲を見上げている。
「……」
「今夜は雨になるかもな」
ちょっと、声が弾んでしまったかもしれない。
玉森がまたもや顔をしかめたので、笑ってその場をごまかした。
俺は自転車を引っ張りだすと、鞍の温度を確かめる。
日陰に置いていたおかげで熱はない。
鞍にまたがると、気合いを込めるつもりで袖をまくり上げた。
「カバン預かるよ」
「いい」
「不機嫌だな、」
「いいや。ご機嫌だ」
どすんと荷台に腰掛けられる。
俺は玉森の右手をとると、自分の腰に巻き付かせた。
握って、と言わずともぎゅっと身を寄せてくる彼。
自転車はのろのろと走り出した。
折り返し、夏の農道を自転車が行く。
俺があんなに急いていたことを知っているのは、このひまわり畑だけだ。
3分で抜けた道を10分かけて、俺たちは帰路につく。
玉森はずっと物憂げに入道雲を見つめている。
同じ気持ちで居るはずなのに、彼の心は別の何かに濁されているみたいだ。
…暑さか、それとも嫌な社長に心をやられたのか。
背中に頬をすり寄せられる。
慰められたい気分ということは、おそらく後者なんだろう。
「今日はどうだったんだ」
「……」
「…。そうか、ダメだったか」
「おい、ヤッパリってなんだ!ヤッパリって!」
「ヤッパリなんて言ってないだろう、」
「いいや!今貴様は心で思った」
「うーん。ちょっとだけな」
玉森は十日前、勤めていた会社をクビになった。
一年と三ヶ月、一生懸命通い続けた隣町の新聞社だ。
三ツ矢シャンペン提供の新聞であるのに、
他社飲料のカルスピについて記事を書いたことが、事の発端だったという。
玉森は解雇を告げられてからも十日間、
変わらず新聞社に通い続けた。
俺にはこの入道雲が爽快なものにしか見えないが、
彼の目には三ツ矢シャンペンの泡立ちに見えてしまっているかも知れない。
「…散々だ」
「でもあの記事は傑作だったよ。ぬるいほど人は甘味を強く感じられる、なんて。玉森らしい面白い記事だ」
「だが私は辛酸を舐めた」
「今日は何度頭を下げた?」
「……」
聞くべきじゃなかったかな。
「さっきの地震で何もかもめちゃくちゃだ」
「……、」
「明日は別の新聞社に行く」
「休んだらどうだ、」
「いいや。私はこの地震を記録するために記者になろうと決めたのだ」
「カメラを持って帝都に乗り込むなんて言うなよ」
「十日前まではそのつもりだった」
「文士的欲求がまさかjournalismにすり替わるとはな…」
「じゃーなりずむ?」
目で見て耳で聞き確かめて。それを元手に文字を書く。
それで玉森の書きたい物が書けるなら俺は留めないが、
あまりやつれた顔は見たくないな。
今の俺には玉森を引き留める資格があると思う。
何か言おうと言葉を選んでいれば、
玉森がごりごりと背骨に頭蓋骨をぶつけてきた。
「疲れた」
「休め、」
「休む暇などあるか。明日の会社がダメなら隣町の隣町の新聞社だ」
「…頑張れよ、」
「長イ道ノリだと!?この野郎~!!」
「だからそんなこと言ってないよ、」
言葉を選び損ねれば馬鹿ニシテイルと怒鳴られかねない。
決して彼を恐れているわけでも、気を遣っているわけでもないけれど、
どうしても「ある言葉」を飲み込んでいる自分がいた。
それも、一年と三ヶ月前から。
顔に出さないようにするのは、もう慣れている。
「熱っ!」
突然、背中に熱風を吹き当てられる。
「私も熱い。だからもっと早く漕げ。風を切れ」
「そうは言っても…」
もう一度当てられて、身をよじりつつ背を張る。
姿勢が良くなって車輪の回転も早まったけれど、とうの自転車は悲鳴を上げた。
「あぁだめだ、壊れる」
「軟弱自転車め、」
老体であるのによく頑張ってくれたものだ。
玉森の家につき、止めようとしたところで彼が荷台から飛び降りる。
そうして荷台を押し走らせるので、俺も足つく暇がなかった。
「日が暮れたらまた来る」
「…あぁ」
上の空とはまさにこの顔だろう。
慰めようにも雷土でも落としそうな暗雲が立ちこめていたので、
俺は振り返らずに家に戻った。
…今日の夜は、慰め役に徹するかな。それに深い意味はなく、本当に文字通りの意味で。
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地震の前、俺は身内のように囲っている作業員2人と蔵掃除をしていた。
蔵に戻ってみるが、掃除が再開している気配はない。
縁側から回って居間に戻れば、2人は茶と煎餅をすすっていた。
六十路と五十路の、お爺さんとお婆さんだ。
「あぁおぼっちゃん、」
「戻りました」
「続きを、」
「いえ。今日は疲れたでしょうから、明日にしましょう」
「良いのかしら?それじゃあ、遠慮なく、」
静かに会釈を交わしたのち、俺は縁側から家に上がる。
自室へと戻るなり、硯の上に本を落とした。
昼に読んでいたのは、江戸川乱歩「二銭銅貨」だった。
この作家の文からは、涙香を読むときと同じ感慨と感触がある。
それも間もなく読み終わると、積んでいた新青年の
一番下を引っ張り出した。
このように、夕刻まで時間を潰す宛てはある。
外は暑いし、のんびりすごそうと決めたその時。
突然、背後の襖が開けはなたれた。
「!!」
スパンと襖を切り裂いたのは、あまりにも大柄の女性。
足元から恐る恐る顔たどっていけば、
無表情の良く知る彼女がいた。
「お……奥さん、」
「まるで鬼にでも見つかったような顔ね。心外だわ」
「…!」
扇子で首元を扇ぎながら、すり足で部屋に入ってくる彼女。
四畳半しかないこの部屋に、彼女はあまりに窮屈そうだ。
「まだ本を集めてらして?」
「その、……去年はすみません、」
「何も責めに来たんじゃあないの」
「…?」
すると今度は見知らぬ青年がやってくる。
手に持っていた風呂敷を硯に置くと、その結び目を解いて見せた。
…上から涙香、涙香、涙香、尾崎、芥川、尾崎、涙香……。
「あなたが上京する時持ってきたものよ。お返しするわ」
「ありがとうございます、ご足労を」
「どこで買ったか知りませんが、
あなたが集めた帝大の教科書は捨ててしまったけどよろしかった?」
「はい」
「…あら、すがすがしいまでの開き直りねぇ」
いつの間にやら俺は笑っていたようだった。
奥さんまでもすまし顔で笑うから、何もかも許された気になっていた。
現に彼女は許してくれている。
俺が帝大の制服を着るようになってから、あの時から、きっと。
するとふいに、その笑みを消す奥さん。
「罰を考えているから、あとでいらっしゃい」
「は、はい」
ぴしゃりと襖を閉じて出て行った。
「……、」
許された、わけではなかったか。
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大泉家と水前寺家は150年親交がある。
大泉家先々代の当主が東北へ旅に出る際、水前寺家に宿を借りたのが始まりだった。
彼も奥さん同様、女に見紛う美しい男で、
それでいて気高く男気ある性格をしていた。
美味い酒を求め1人東北へ行くというので、
旅が安全になるよう酒蔵で働いていた男を用心棒として付き添わせ、
見送ったのを覚えている。
東北に向かったあと、その用心棒が発揮される事件があったらしく、
以来水前寺家に恩を感じているようだ。
…酒造りをやめ高利貸しへと転向したのは先代からだ。
大泉家の酒が飲めなくなったことは残念だけど、
その結果は間違っていないと思う。
奥さんに睨まれて、逆らえない者はいないから。
……俺は自室の窓からするりと出て、低い姿勢で庭に出る。
居間では父と母を含め、皆でどんちゃん騒ぎをしている。
幸い日もくれて、軒の様子など分からないだろう。
俺は靴をつまみ上げ、そのまま逃げてしまおうとした。
睨まれて逆らえないと分かっているなら、
見つかる前に逃げてしまおうという作戦だ。
「ミナさん!!」
「!」
髪を乱し、べろんべろんに酔っている彼女。
その姿も先々代と丸きり変わらない……。
彼女は一升瓶を持ち上げると、ふらふらと縁側に近づいてくる。
皆平等に酔っ払っているので、誰1人彼女の足取りを止めようとしない。
「タマさんのトコ、通ってるんですってねぇ」
「はい」
「これから?」
「これから、です」
「朝まで帰ってこないの?」
「はい、そのつもりです」
「あらあらあら!」
赤面したかと思えば、突然姿勢を低くする奥さん。
そして俺にしか聞こえないように、手を口に当てた。
「ちゃんといたせてる?」
「いたせてますよ」
「!!!」
当たり前に返事してみたつもりが、彼女はさらに頬を染めた。
まるで彼女の中には少女と女性が混在しているみたいだ。
ふいに、手にした一升瓶を突き出される。
「呑んでいきなさい」
「!?」
「罰よ。さっき考えたの。呑んでから行きなさい」
「ですが、」
「あなたの酔っ払ってる可愛いとこ、タマさんに見せてあげなさいよ」
うふふと笑う彼女。
確かに頬を染め袂を振り回す姿は愛らしいと思うが、
後ろで顔を引きつらせる治司くんを見ているとなんとも言えない気持ちになる。
…俺は酒に強い方だし、一升で倒れることもない。
彼女の心意気を無駄にすることも憚られ、彼女の前で一気に飲み干して見せた。
「!」
「それではおやすみなさい、また明日」
「え、えぇ……!」
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いつもは涼しくなる夕刻も、
雨が近いせいかどんよりと熱気が漂っている。
飛ばせば少しは涼しくなるかと思ったのに、
視界が揺れて危うく感じる。
自転車を降りる時にもふらついたので、
いやはや度数の強い物を仕込まれたんだと悟った。
どうか玉森に感づかれませんように。
「!」
垣根の内に入れば彼が縁側にいたので、急いでしらふの顔をした。
「さっき奥さんが来たよ」
「私も会った」
「帝都に帰る足が無いから、しばらく泊まってくみたいだ」
「客人が来ているならこんな所で油を売るな」
「今はただの酔っ払いだよ」
半ば逃げてきた、というわけだ。
マァ座レと腰をずらしてくれたので、俺は彼の隣に腰を下ろした。
「それにしても、治司くんの成長には驚いたな」
「信じられんことだ…!」
最初は見知らぬ青年、だと思ってしまったけれど。
奥さんに似たあの泣きぼくろ間違いない。
「背も玉森より……」
「いいや、私のほうが勝っている」
「それはどうだろう、」
「態度のデカさが彼を大きく見せるのだ、幻想だ」
「…そういうことにしておこうか」
ふと視線を下ろせば、玉森の隣に原稿が伏せられて置いてあることに気がつく。
手にとってめくれば、題名に「いぬ」とある。
ついに仕上がった88作目の作品に、俺は一秒もかからず没入した。
…廃工場に住む老犬。
人に捨てられ、それでも人への愛を忘れられない悲しい犬。
3代目の主人は若い気まぐれな男だが、時折上手い肉を運んできてくれる。
最初の肉が美味かった。
だけど次の肉は固く、まずかった。
その次の肉は前よりはまぁまぁ美味かった。
それが人の肉だと気がついて、老犬はそのうち主人が美味しそうに見えて来てしまう。
ついにその手を噛みちぎり。
けれどちっとも美味しくなくて。
老犬はくーんと鳴いて、主人にまた別の肉をねだるのだった……。
「猟奇的だ、罪無くして閉じ込められた牢獄の中でポケットに隠した一粒の乾パンに涙の味を知るような」
「うむ」
この沸々とした気持ちを伝えようにも、言葉にならない。
一方で、好きだ、の3文字に集約することも出来てしまう。
玉森の魅力はまか不思議だ。
するとそのうち大粒の雨が降ってくる。
遠くにあった雨雲が、いつのまにか俺たちの真上にある。
ふと玉森を見やれば、うつむいて瞳を揺らしていた。
…雨はまだ、俺たちにとって「特別」な意味がある。
玉森は結局俺の目を見ないまま、どたどたと部屋に戻った。
「…上がれ。窓閉めるぞ」
玉森の言う通り、靴を引き上げ中に入る。
いつもなら夕食を作っている時刻のはずだけど、なぜか昼から時が止まっているように見える。
「そう言えば夕食は?」
「食欲がないのだ」
「そうか。腹も空かせてきてしまった」
「悪いが作る気力も今はない」
ガラス戸を一枚閉めたきり、そう吐き捨てる玉森。
「一年働いていた出版社を解雇されたのだ。
これからのことが不安になるのは当たり前だろう」
「何が不安なんだ?」
「生活の不安だ!……金が無ければ、生きていけない」
そう言って惨めに浸る玉森。
…いつもの彼であれば、彼なりの方法で曇りを晴らしていたはずなのに。
原稿を書き殴るだとか。
やけ食いだとかやけ飲みだとか。
そうして普段の俺ならば、彼が立ち直るまで寄り添っていようと思っただろう。
「そうか。…俺はずっと、早く辞めてくれって祈ってたよ」
「!?」
失言だった、とすぐに思った。
「もっと言えば、面接に落ちて欲しいとも思ってた。
だから願ったり叶ったりだ」
「はぁ……?」
けどどうしても身のうちに留めることがなかった。
蓋のない、逆さまの一升瓶のようだ。
「…私に喧嘩を売っているのか」
「どう受け取られても良い。
落ちて落ちて……俺のところまで落ちてきて欲しかった」
「…!?」
驚いた顔をする玉森。
いつもの俺だと伝えたくて、この手の感触を彼の首筋に当てる。
微笑んで欲しかったのに、玉森はしらっと目を細めた。
「酔っているな、」
「?あぁ、奥さんに飲まされたんだよ」
「こんな状態の水上を送り出すとは……、」
「こんな状態?大丈夫、俺は酔ってないよ」
「ともかく、水でも飲んで頭を冷やせ。話の続きはそれからだ」
「俺は本当に酔ってなんか……」
「この匂いは四・五杯ではない!」
「そんなに匂うか…」
玉森は目線を泳がせつつ、もう一方のガラス戸に飛びつく。
そうして全てのガラス戸を閉め切ると、雨音が遠のいて部屋が静かになった。
彼はまた俺の目も見ず、ガラス戸にかけた自分の手元を眺めている。
唇は、何か言いたげに濡れていた。
そして頬を赤らめながら、ぽつぽつと言葉を落とす。
「私たちのこと……奥さんにはバレてないだろうな」
「あぁ」
「お前の家族には、」
「バレてないよ」
「な…ならいい、」
「……、」
…雨の夜だけしようと言い出したのは、玉森だった。
最初は毎晩のように通い、その都度身体を重ねていたけれど、
彼にとってそれはかなりの負担だったみたいだ。
決して俺の事が嫌なのではなく。
胸が苦しく、耐えられないのだと言う。
だからこういうことをするのは雨の夜だけにしようと決めた。
熱っぽい目で見るのも今晩だけ。
声を出すのも、今晩だけだ。
「……」
ゆっくりとためらいがちに、俺の方を向く玉森。
未だその目は横に向けられていたが、
最後は乞うように俺を見つめた。
そうして玉森の手が、俺の頬に添えられる。
目を閉じて。
少しだけ背伸びをして。
この唇に触れてくれる。
…一ヶ月ぶりの感触だった。
たくさんの不安の中に、
俺との夜伽も含まれていたのかな。
「…、」
今度は俺が、玉森の頬に触れる。
口づけを押し込んで、背伸びをした足を地につけさせる。
小さな口と、小さな舌。
彼の唇を食みながら、深く舌を下ろす。
息継ぎのため、束の間唇を離せば、またつま先立ちになって俺にせがむ。
無意識なんだと思う。
俺に全部の体重を預けるのも、ひしと俺を掴んで離さないのも。
愛おしいという言葉を思い出し、つい唾液を流し込んでしまった。
「っ、…水上、」
「嫌か?」
「……、」
らしくないと言えば、らしくないことをしてしまった。
「ごめん、やっぱり酔っているのかも知れない」
そうわかりつつも、歯止めが利かない。
ズボン吊りを腕のほうへとずらし、シャツのボタンをひとつ外す。
開くなった玉森の首元に、俺は唇を押し当てた。
「身体、熱くなってる。…お前まで酔わせてしまったかな」
「わ、わからん…久しぶりな、せいかもな」
この一ヶ月、雨が降っても夜まで続くことはあまりなかった。
そして夜通し降った時に限り、玉森が仕事で帰れなくて、
俺が1人待つ事もあった。
……初めはこんなこと、無意味だと思っていたのに。
気がつけば俺のほうが、玉森を求めるようになっていた。
「布団でしよう、」
「……、」
酔っていると認めよう。
あまり力加減が出来そうにない……。
「!」
すると突然、俺の足元に膝をつく玉森。
ベルトを外すと、ズボンを浅くずり下げた。
「たまには、その…口でしてやる!」
「いいよ、」
「したいからするのだ」
俺の手を軽くはたくと、下着から俺の物を取り出す。
玉森はうなだれていた俺の先に、口づけした。
そのくすぐったい感触に、思わず弾ませてしまう。
「本当にいい、」
「だまってろ」
口内の暖かさが心地よくて、わずかに芯を持ち始める。
けれど根元まで収めてくれることもないし、
何より舌がぎこちなくくすぐったい。
「くすぐったいよ、」
「真剣な私を笑うな」
「でも気持ちいい」
柔い舌先が、血管をなぞる。
ぎこちないが頑張ってくれているので、
もういいと水はさしづらい。
髪を撫でていれば、またもやイライラと睨まれる。
何か不平を言われそうになったので、
俺は玉森と同じように膝を落とし、彼に顔を近づけた。
「ここでしようか。寝室よりは涼しい」
「そ、それもそうだが……」
居間の座布団に手を伸ばして、玉森の腰元に置く。
そうして寝かせるように、ゆっくりと押し倒した。
目元を赤らめ、けれど今度の玉森は真っ直ぐに俺を見つめてくれる。
「…玉森、」
「…!…」
物欲しそうな唇に、口づける。
身体を倒した時には玉森の足を開かせ、
自分の身体をねじ込ませている。
布越しに性器をすりあわせれば、彼の服の中にも膨らみを感じられた。
「良い香りがする」
「…、」
「綺麗にして、待っててくれたんだな」
「おっお前のためでは……」
「愛しいよ、」
そう口に出してから、また舌を延ばす。
すると彼の身体が一層熱く、一層粘度を持ち始めた。
呼吸も忘れて貪り、玉森自ら腰を疼かせ始める。
かと思えば急に俺の胸を押しのけて、
また意地っ張りな顔で俺を睨んだ。
「…熱いから、脱ぐ」
「下は?」
「下も…脱ぐ、」
あんまりソレらしい雰囲気を出すと、玉森が逃げてしまうことが多々ある。
こうして強がった声を出すのも、
気恥ずかしい状況に耐えられないからなのだろう。
俺はそれを含めて、そんな玉森が愛おしいと思う。
ズボンをするりと引き抜いてやり、
シャツは脱ぎかけのまま、再び身体を近づける。
「…!」
火照った胸元に、さらに濃い痕を残していく。
乳頭が弱いと知っているのでわざと焦らしながら、舌を這わせる。
その間にも彼の性器に直に触れ、ゆっくりと擦りあげていく。
徐々に身体の裏へと指を伸ばし、めどの入り口を柔く撫でた。
ぴくんと跳ねたが、拒絶はない。
少し力を入れただけで、俺の指は簡単に飲み込まれていた。
「っ…ん……、!」
「本当はもういれたい。
…でも久しぶりだから。ちゃんと慣らそう、」
拍動に合わせ、俺の指を痛いまでに締め付けてくる。
身体はもう、俺を覚えているのに。
けれど心音が、いつになく昂ぶっている。
「…来てくれ。準備、できてるから…」
「……、」
「欲しいんだ、」
不安げな顔で、少し悔しそうにそう言う玉森。
……雨脚が弱まっている。
今夜の雨も、長く続かないかも知れない。
…そういうことか。
俺も溢れてくるものを止められず、固まった亀頭を玉森の身体に押し当てた。
「…!」
押しのけてしまわないように、彼の身体をひしと抱く。
強ばった入り口を抜けると、玉森の身体は勝手に俺を飲み込んでいく。
目をつぶって耐えていた玉森だったが、
俺が最奥に触れた瞬間、だらんととろけた顔を見せた。
やっと、何かを手放したような。解放されたような。
なにより安心したような……。
「っ…!ぁ、…みなっ…!」
「ずっと、欲しかったのか?」
「!、ん…!」
「一人でしてた…?」
「そっ、そんなこと……!」
「…俺もだよ、」
奥ばかりを突き上げてしまう。
だんだんと律動が早まる。
それに合わせて露が溢れ、辺りに水音が響き渡る。
……雨はもう、止んでいた。
玉森もそれに気づいているだろうに、俺の身体に足を絡めて離さない。
…声を抑えきれなくなっている。
「っみなかみ…!そ、外に聞こえ……!」
「誰も通らないよ、」
「でも……!!」
「誰にバレたっていい」
「!」
「一緒に暮らそう、」
一年と三ヶ月。堪えてきた言葉が簡単に漏れてしまった。
そして今すぐに、返事が欲する俺がいた。
「ダメか?」
「は…!?」
「できるだけ、…そばにいたい」
耳まで赤く染める玉森。
その反応が愛おしくて、我慢ならずに昂ぶってしまう。
だめだと思った直後、彼の中に熱を放ってしまった。
遅れて引き抜けば、すぼまったそこからとろりとあふれ出る。
…なお収まらない自分の性欲に呆れたのは最初だけで、
酒のせいにしてしまえと言う悪い悪魔が腹の中にいる。
うなだれた玉森の片足を持ち上げ、背後からまた突き立てた。
「…、水っ…上!」
さきほどとは違う角度から、玉森の身体を広げる。
ゆっくりと腰を回しながら突き上げ、
心地よい場所だけを丹念に押しつぶす。
「ぁ……っ、…!」
「…っ…、」
先ほどの熱が泡立って、いやらしい音が部屋に響く。
逃げ腰になられたので、俺はさらに玉森の足を開かせた。
「いく時は…、見せてくれ」
「…!!」
嫌がるだろうと分かってて、そんな台詞を吹き込んでしまう。
突き上げるごとに、せり上がっていく玉森の性器。
彼の暖まって吐息と身体に、俺もまた膨らんでいく。
「っいっ…!!」
触れる事なく、玉森は射精した。
根元がきつく締め上げられ、
その瞬間に俺も今度こそ最奥に注ぎ込んでいた。
いったばかりのせいか、玉森のそこが震えている。
その間も俺は、熱を注ぐのを止められないでいた。
…玉森の足を下ろし、けれどまだ身体は繋げたままで。
俺は一層強く抱きしめた。
「ぁ…、雨、止んだぞ、」
「もう少しこのままでいたい」
余韻に浸りたい……。
けど、玉森は身をよじらせて俺の腕から抜け出してしまう。
月明かりをさえぎるようにして、俺の顔に影を落とした彼。
その目元は赤く照って、やっぱり不機嫌な顔をしていた。
イツマデ寝テイル、と頬をつつかれる。
起きなきゃだめか、と上体を起こす。
乱れた彼の髪を手櫛で直し、いつものきりりとした玉森を作ってあげた。
彼の頬を両手で包み、無理をさせてしまったとお詫びのつもりで口づけをした。
そして情に訴えかけるつもりでもあった。
「さっきの答え、聞かせてくれないか」
「……、」
「俺もこの家に住みたい」
「私にお前を養う余裕はない」
「養ってくれなんて思ってないよ。…お前は仕事なんて見つけないで、俺のところで働けば良い。
一日中、一緒にいたい。…朝も、夜も」
「私は……嫌だ」
そう言ってハッとした顔つきになる玉森。
俺を気遣ってか、弁解するように言葉を続けた。
「私が全部をお前に委ねたとする。
食事も風呂も何もかもお前の金の世話になり、お前がいなくなったら生きられない私となったと、する」
「……」
「そんな時、もしお前が事故で使い物にならなくなったらどうする?」
「事故なんて…」
「私と初めて出会った時のことを思い出せ」
「5億年前か?」
「18年前のことだ!!」
俺たちが初めて出会ったのは18年前、他ならぬ病室だった。
あの時俺は身の丈がわからず、桶に昇る階段から落ちて……。
だけども、だ。
「骨折くらい……」
「打ち所が悪ければ」
「それは困るな」
「だから……そのだな。お前に何かあれば。この私が。お前を支えてやる。
そのために私自身が自立せねばならんのだ……」
目を伏せる玉森。
けれど頬を包む俺の手を拒絶することはなく、視線だけを泳がせている。
その目が俺に止まるまで、なるべく優しい顔で待っていようと思った。
「もし俺が動けなくなった時は、俺を殺してくれ」
「は、はぁ……?」
「橋姫は目にかける相手を失ったとき、一番近くの者に憑くんだ。
だから玉森が時を戻してまた俺と……」
「馬鹿が。不慮の事故で即死だったらどうするんだ?その場に私が居なかったらどうする?」
「そ、即死」
「お前は運が悪いからな。近くに居た羽虫に橋姫が取り憑いてしまうかもな」
「だからお前が俺のそばにいてくれ」
「~~……」
「な、名案だろう」
歯ぎしりでもしたそうな顔だ。
でもころころと変わるその表情一つ一つが、俺に大切な事を思い出させてくれる。
「それにとっくに俺は、お前がいなくなったら生きられないよ。
……ずっと、昔から」
「……」
突飛なことだと、思われていないかな。
珍しく不安になって、俺は逃げるように立ち上がる。
縁側から庭に足をおろて乾いた月を見上げていれば、
玉森はいそいそと隣に座った。
何か知りたそうに、目を丸くする玉森。
その目に見つめられていたら、俺もなんだか昔話がしたくなった。
「今日は、俺が玉森に出会った日の夜に似ている」
「?」
そう言った俺の口から、ぷくりと泡が立つ。
「俺は道に迷って。水底に倒れ込んでいたんだ」
「魚がか?」
「魚がだ。
そんな時、お前が俺のところにやってきた」
「……、」
「お前は俺と同種の、けど一回り小さい魚だった」
小さくて、すばしっこくて。
きらきら月夜に泳ぐ姿が、美味しそうに見えた。
だから俺は、一口で吸い込んでしまった。
「俺はお前を食べてしまったんだ」
「へ……?」
きゅっ、と。
「人違い……いや、魚違いではないのか」
「声と顔でわかるんだ」
「魚に声も顔もないだろう、」
「でも魚は魚なりにわかるんだよ。鳥は鳥なりに。猿は猿なりに。
だからどんな姿に生まれ変わっても、すぐにお前を見つけ出せる」
「なんだかな」
玉森も細かいあぶくを吐いた。
「お前のおかげで、俺は家族のもとに帰れたんだ」
腹が満たされたら力が湧いてきて、
どこまでも泳げる気がした。
急流に逆らって、空を飛ぶみたいに家路につけた。
「あの時俺は、大切なことを教えて貰ったんだよ。
…そしてまた、思い出させてくれた」
ふと横を見ると目が合った。
玉森はずっと、俺を見ていてくれたらしい。
俺と視線が交わると、逃げるようにして月を見上げた。
だから俺も同じように月を見上げて。
あの時と同じような所感を述べた。
「命は誰かに生かされているんだって」
「……」
「ありがとう」
俺はいつも、玉森の生み出す何かに惹かれて、生かされてきた。
命と、うろこと。羽と、声と。言葉と、文字に惹かれ。
今は形のない、玉森の物語に生かされているんだ。
「…その命、大事にしろ」
「あぁ」
「なんせ一人のものではないからな」
「これからも大事にするよ」
「なら…。いいのだ」
そう言って、俺の肩にもたれる玉森。
「私もちょっと、思い出した。
多分私は……お前と、月を見ていたかったんだ」