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「君の眼はあまりに可愛ゆし」表

帝国劇場。
「東京節」は一番の歌詞に登場する劇場の名前である。
この歌には活動、十二階、花屋敷が歌われており、
帝都の陽という陽を詰め込んだ陽気以外の何ものでもないsongだ。
であるので、そこに名を連ねる、しかも一番に登場する帝劇が
どれほど陽気なものかはおわかり頂けよう。
そのルネサンスな劇場の、それは上等な真ん中の席に、
私は腰を下ろしている。
もっと辺りを説明をすれば、今は幕が降り観客はぞろぞろと席を離れていく。
皆無言だ。
骨壺を抱く喪主のような面持ちだ。
そしてもっと言えば、私の隣には川瀬が座っている。
恐る恐るその顔を伺えば、
彼は存外真面目な顔で、閉じた舞台を見下ろしていた。

「なにこれ?」
「な、なにこれって、」
なにこれって。
私の小説を読んだ時と、同じ感想ではないか。
「君は俺に、
 陽気ナ丸ノ内ニアル
 陽気ナ帝劇ノ
 陽気ナ鑑賞券ヲ買ッタカラ、
 陽気ナ舞台ヲ見ニ行コウ、
 って言ったよね」
「あ、あぁ…」
「どこが陽気だったかな」
「よ…陽気ではなかったな、」
ジャケットの胸から半券を取り出し、私は苦笑いで眺めた。
私たちは今日、
ウィリアム・シェイクスピア作、「オセロー」の舞台を観に来ていた。
主人公は褐色の肌色をしたムーア人・オセロー。
オセローは鷹揚な男であり勇猛果敢な戦士であった。
年の離れた美しい娘・デスデモーナと婚約し、
キプロスの軍隊を率いる指揮官として名を上げていった。
しかし彼の評判に嫉妬する男・イアゴによって2人の仲は引き裂かれ、
積み上げた何もかもがご破算となる。
顛末を明かしてしまうと、不貞に怒ったオセローがデスデモーナの首を絞めた。
そこで罵りあえばまだよかったのだが、
デスデモーナは純潔を訴え続け、最後はオセローの怒りを受け入れ絶命した。
2人を陥れたイアゴは善人の皮を被った極悪非道の大嘘つきで、
デスデモーナのあらぬ浮気をオセローに吹聴したのも彼である。
イアゴは自分を責める妻・エミリアすら刺し殺し、この舞台から逃げ去った。
幕が降りた。
なんということだろう。
これは「婦系図」以来の虚無感である。
「……」
「にゃはは…」
「帰ろうか」
立ち上がる川瀬。
未だ座り込んだままの私に手をさしのべる。
隣人が恐ろしく見えてしまう物語だったが、
私は迷わずその手を取れた。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


劇場を出、丸の内の喧噪に飲まれる。
浅草の夜を華ヤカと例えれば、丸の内の夜は煌ビヤカと例えられる。
目に見える光は手が届かなくて、星の光と同じなのである。
身の丈を過って丸の内ビルヂングで一食しようものなら、財布を空にすることになる。
池田輝虎の資産を譲られた川瀬であるが、
決して不必要な出費は好まなかった。
…だが、今日はどうだろう。
私は帝大合格のため日々鬱屈とした勉強生活を送っている。
たまの解放日くらい、奮発してくれても良いではないか。
そんな心地で川瀬の袖をビルヂングの方へと引っ張ってみる。
言葉にしようものなら刺されると分かっているので、無言の催促だ。
けれど、彼の歩みが帰路からブレることはなかった。
「オペラを観るのは初めてって、言ってたよね」
「え!?あぁ」
「マシな趣味、見つけたんじゃない?」
川瀬が褒めるとは珍しい。
そう、川瀬はコレでも褒めているのだ。
「だが私がシェイクスピアを観るのはこれが最後だろう」
「どうして?」
「四大悲劇とは聞いていたが、ここまで救いがないとは…」
「馬鹿が馬鹿なままでいる理由がわかったよ」
「おい、」
ふと気がつくと、私たちは城の中庭にいた。
私の装いはムーア人・オセローのそれで、川瀬は旗手・イアゴの装いだ。
ゆっくりと庭の草を踏んでいく川瀬。
寝転んでいた蛙男を踏みつけると、足裏でころころと転がした。
視線は変わらず、夜空の満月を見上げたままだ。
「正直者は馬鹿だ、って話だ」
「川瀬さん痛い~…」
「正直者は正直者を信じる。…けど、賢い奴は正直者のふりをする」
「賢い奴?」
「正直者を操って、自分の目論見通りに動かすことができる人間のことさ」
「?」
蛙男とも私ともつかない疑問符だった。
「賢い奴に食われたくなかったら、まず正直者から疑うんだね。
 そして自分は正直者になるなって話だ」
「正直者の何が悪い」
「さっきの物語で馬鹿な正直者が何人死んだ?」
「えぇっと……全員、だな」
「そういうことなんだよ。
 人に信頼されたかったら、正直すぎない方が良い」
「かと言ってェ、お口の悪いヒトが好かれているのを見た事がありません~」
腰に携えていた剣を、鞘ごととる川瀬。
蛙男の尻穴にこじりをねじ込むと、天高く晒した。
「君は誰彼構わず好かれたいの?悪い奴にも平等に?」
「〜…私はそんなことを語るためにお前と舞台を観に来たのではない。
 感想を語り合いたいのだ」
「感想ね」
「オセローの黒と、デスデモーナの白の対比が美しいとか。
 実はイアゴの野郎、オセローが好きだったんじゃないかとか…」
「理解しろとは言ってないさ。
 君がこの暗喩を理解出来なかったってことは、受け付けなかったってことだ。
 そこを説いて伏せようなんて気はない」
「……、」
「18年も一緒にいて、俺の気持ちに気づかなかった君らしいなと思って。
 それが俺の感想だよ」
結局私を馬鹿にするか……。

中庭を出る川瀬。
城下への道を歩き出しので、私もそのあとを追いかけた。
「デスデモーナがオセローに信じてもらえなかったのは、
 彼女がいつも、本当の事を話しすぎたからさ」
「…、」
「大事な言葉は、発するごとに効力を失うから」
オセローとデスデモーナが愛し合いすぎたがゆえの、悲劇だというのか。
どのみち客にとって後味の良いものではない。
私は彼を追い越して、陽気な声で先頭を歩んだ。
「悲劇は悲劇だった。だが心躍らなかったわけではない。
 冒頭、オセローが語る冒険譚には私も心惹かれたぞ!」
「……」
オセローは奴隷として売られていたところを脱兎。
放浪する旅の中でたどり着いた洞窟、荒野、岩山…。
人食い人種のこと。
肩下に顔がある人種のこと。
デスデモーナが心酔するきっかけとなった、オセローの冒険譚がたまらなく面白いのだ。
気がつくと私たちは荒々しい岩場を歩いていた。
服は奴隷の着る布一枚。
ここに戦士の剣はなく、先ほどまでこじりに突かれていた蛙男はぺたぺたと地を歩んでいる。
「だいたいお前は深読みしすぎなのだ」
「……」
「そうですよぅ。娯楽くらい、肩の力を抜いて楽しんで!」
「十分楽しんでるけどね」
「じゃあもっともぉっと力を抜いてくださいな」
「そういうことだ川瀬!悲しみは重く、喜びは軽い。底は漁らず、上澄みをすすれ」
「そぉだ!玉森さんの言う通りっ!」
「……」
舞台を駆け回る役者を見ていたせいか、やけに身体が軽く飛ぶ。
私と蛙男は踊るように川瀬の周りを飛び交った。


「ところで玉森くん。俺たちは今、どこにいるんだろう」


その瞬間、その一言で、現実に引き戻される。
私たちはいつの間にか、いかがわしい通りに入り込んでいた。
浅草の花街のような、艶やかな光が辺りに灯っている。
立ち止まれば嫌な顔をした人に睨まれる。
だが私は立ち止まらざるをえなかった。
…見知らぬ土地に見知らぬ街並。
そんな中、手にしていたカバンがやけに軽いのだ。
「!?」
「底、抜けてるね」
「にに、荷物が…!!さ、財布が…!」
「……」
川瀬は私と違って、私服で出かける際はカバンを持たない。
ポケットから財布を取り出すと、中身を確認した。
「……ご丁寧だ」
「…!!」
なんとお前もか……。
「別の場所に小金を隠しておいて良かった。…煙草もね」
「そんな……」
あれから一年。私は肩書きを持っていない。
強いて言うなら、「依然帝大合格を目指す浪人生」であろうか。
世間的に名乗れる肩書きの無い私は、川瀬から貰うお小遣いで食いつないでいる。
……つまり今、私にとって全財産が失われた。
…そして私の大事なカバンの損傷も捨て置けぬ。
その末に、なんだか笑いがこみ上げてきた。
「にゃはは、にゃは……」
「笑いな。盗人は人の笑顔が嫌いだから」
こんな状況でも、楽しんだ者勝ちである。
笑っていられない川瀬の分まで、にゃはにゃはと笑ってやることにした。
そんな中、煙草を咥えマッチを擦る川瀬。
しかし何度擦っても頭薬に火は付かず、またもや何か嫌な予感を感じ取る。
…湿気っている。
そう気づいた時には、ぼたぼたと大粒の雨が降ってきた。
花街の誰もが突然の雨に慌てて引き上げる。
蛙男だけが、天に向かって笑みをこぼした。
それからコテンとつまづいて、そのまますやすやと眠り始める。
「君も眠い?」
「多少、歩き疲れたな」
「それなら宿を探そう」
「こんなところで……?」
…どこもかしこもいかがわしい。
辺りを見渡せば、店の中から女たちが手招きしている。
何事もなく夜を明かしたい私たちにとっては無意味な付加価値である。
「いっそ引き返すか?」
「いいや」
「?」
立ち止まり、脇道を見やる川瀬。
狭く暗い無色の路地に、灯りをまとわぬ建物が構えていた。



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宿の扉を開けると、割れんばかりの鈴の音が響く。
間もなく受付の窓口に、老婆の格好をした老爺が現れた。
ひび割れた唇の、うす黄色の口紅が痛々しい。
薄暗い店内とじめりとした温度が相まって、私は彼を直視出来ないで居た。
彼との対話は川瀬に任せ、私は1人辺りを見回す。
…壁一面には、貴族の肖像画が飾られていた。
そのどれかと見つめ合っていると、背後の肖像が壁ごと近づいてくるような錯覚に陥る。
…ここは本当に宿なのだろうか。
「玉森くん、行くよ」
「!」
私を呼ぶ声に振り返る。
老爺はいつの間にか受付を出、階段を上っている。
どうやら交渉は成立したようだ。



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老爺が私たちを案内したのは、
この宿の最上階、三階の一室であった。
ゴユックリと見送ってくれた声はやはり男のものであり、己の無礼を詫びずに済んだ。
……それにしても。
「…どぎつ、…すぎないか」
ダブルベッドに洋風なchair、電気系統は壊れ、
唯一の光源は窓からの光のみだ。
それも向かいの通りからこぼれる、飲み屋の赤々とした光だ。
雨を受けて実にみだらな光だ。
部屋の狭さも何とも言えず、
友情を誓った男2人が朝までに恋人となって出て行くのが想像出来る。
…川瀬とはすでに、そう言う、関係では、あるけど。
私は入り口に立ちすくみ、気づけば癖で腕組みをしていた。
川瀬はというと、私の気を余所に部屋をぐるぐると回っている。
潔癖症故手袋をはめたかと思えば、観葉植物やベッド周りを触り出す。
それから壁をコンコンと叩き、しばらくじっと絵画の男と見つめ合う。
私の視線に気づくや川瀬はひらりと笑った。
手袋をしまいながら、ベッドに腰掛ける川瀬。
私とは違う緊張を抱いていたようだが、それもほどけたようで何よりである。
「あんまり安いから、どんな部屋に案内されるのかと思ったけど。まぁ妥当だ」
「…良かったな」
「どうしたの?こっちおいでよ」
「……」
ぽんぽんと布団を叩く川瀬。
私は何も分からぬ風に視線を泳がせた。
「何かやましい気持ちでもあるの?」
「やっやましい気持ちなど…」
「…それともこの関係、まだ慣れない?」
「!」
私と川瀬の、関係。
あれから丁度一年、そしてこれからも続いていくであろうこの関係の、名。
いくら私が親友と言えど、
それを人は恋人と呼ぶのだろう。
私はすたすたと、川瀬の向かいにあるchairに腰掛ける。
窓の向こうの花街を、私はじっと眺めていた。
そんな振りして、川瀬から目を逸らしていたのである。
…私は今、池田邸に身を寄せている。
一緒ニ住ムヨネ?とさも当たり前の様に告げられ始まった同居生活である。
初めての夜は一緒ニ寝ルヨネ?の一言でベッドに誘われた。
そして翌朝は一緒ニ暮ラスヨネ?、だ。
俺ト一緒ニイタインダヨネ?
当然帝大目指スヨネ。
勉強スルヨネ。
ツキッキリニナラナキャダメダヨネ。
ダカラ、一緒ニ住ムヨネ?
……と。
彼の舌は変わらず鋭利に研ぎ澄まされている。
それでいて私を恋人として扱うものだから……流されっぱなしの驚かされっぱなしである。
「!」
ふいに立ち上がり、こちらに近づいてくる川瀬。
肘置きに真正面から手を置くと、息がかかるまでに顔を近づけられた。
「ぉぉおおおかしな気分になるんじゃない!」
「俺は冷静だよ。君を逃がさないようちゃんと計算してる」
「逃がさない計算って……」
この体制のことか。
「君はさっきの舞台で、誰に共感できた?」
「…意図かわからん。何が言いたいのだ」
「正直なオセローとデスデモーナと、欲望にだけ正直なイアゴと」
「私が馬鹿なのは、お前が一番わかってるだろう。
 …回りくどいことはやめてくれ」
「今日の鑑賞券くれたの…誰?」
「!」
「自分で買ったんじゃあないでしょ?…あんな上等な席、君のお小遣いで足りるかな」
私を見つめる、黒い瞳。
私も逸らさず、じっと見つめ返した。
「嘘ついたほうがいいか?」
「つくならちゃんと、俺にも見抜けないヤツを頼むよ」
「……、」
あぁダメだ。私はデスデモーナだ。正直にしか生きられない。
「奥さんだ。奥さんからもらった。……。…水上経由で」
「……」
「水上からもらったと言えばお前は…、一緒に行ってくれないだろう?」
「そうだね」
「な…?」
だから黙っていたのだよ。
そうして乞うような声を出したところ、黙らすように口づけられる。
私の乾いた唇が、川瀬に潤まされていく。
…次に彼がどう顔を傾けて、どこで息継ぎするのか…私はもう知りつくしている。
けれども慣れることはなく、いつも信じられない気持ちで受け入れていた。
「!」
突然舌先を噛まれ、思わず身を引く。
川瀬は私に顔を寄せたまま、いたずらに微笑んだ。
「俺はイアゴに共感するよ」
「か、川瀬」
「隠し事は上手に隠してくれ。じゃないと俺がどうするか、わかるでしょ?」
「……、」
私から身を離す川瀬。
自身のネクタイに手をかけ解くと、静かに上着を脱ぎ始めた。
「こっ、ここでするつもりか…!?」
「そんな気分だ」
私のボタンに片手をかける。
その手を掴んで抵抗するが、彼は器用にボタンを解いていった。
「こんなところでしたら隣に……!」
「君が我慢すればいい話でしょ」
「川瀬、まっ、待て……!」
私の胸元をあらわにすると、胸先や鎖骨に口づけを落としていく。
のど仏に唇を当てられたかと思えば、
痛いほどきつく吸い上げられた。
…口づけの痕はシャツでも隠せぬ位置にある。
川瀬は身を離すと、残った痕を見て満足そうに目を細めた。
「首飾りみたいだ」
「ひどい話だ…!」
「本当はもっとひどいことしてあげたいんだよ、」
「あげなくていい!」
「それじゃあいつも通り優しくしてあげるから。
 …口、開けて」
「…、……」
顎を掴まれ、顔を上に傾けられる。
戸惑いつつもアと発すれば、吐息ごと唇を食まれた。
…もう何百回とこうしているのに。私が主導を握ろうとすれば、すぐに歯を当ててしまう。
一向にうまくなれないので、まるで川瀬に飼い殺しにあっている気分である。……事実、そうなのだろう。
ふいに、川瀬の手が私の下腹部に触れる。
それから這うようにして、下半身に触れた。
「!」
私は思わず足を引き上げて、彼との間を遠ざけた。
「…、お、終わりだ。今日は、その、ここまで……」
「お高いなぁ君は」
「昨日もしただろ…」
「……」
「…お前は橋姫が自分に戻る機会を作りたいだけだ。
 違うか?」
「俺のために身体開いてるつもりなの?」
「!」
ズボンの上から、尻をなでられる。
それから私のものを手の平でつつみ、形を際立たせるように上下する。
私はできるだけなんともない顔で、川瀬を見つめ続けた。
「こんなことさんざんしても、何も変わらなかったでしょ」
「!!」
「だって君の方がハマっちゃってるんだから」
「!…心外だ……!」
「じゃあ今日も試してみようよ」
「…!」
中指で、身体の底をくすぐられる。
…川瀬の話などまともに聞いている余裕は無かった。
だのに彼は了承なく、突然私のズボンを引き抜く。
そしてふわりと抱き上げられたかと思えば、
今度は私が川瀬に馬乗りになっていた。
「!?」
川瀬自身もベルトを外し、既に強ばった性器を取り出す。
…私の真下で、真っ直ぐに突き立てられたそれ。
「腰下ろして、自分でいれて」
「!」
「俺のためにさ」
全部が全部、川瀬の手の中だ。
こんな事になる度に、言葉の応酬は続かなくなる。
私には、この場で発するべき言葉がわからないのである。
……とにかく彼の優しい目が苦手だ。
私まで、そういう気分になってしまう。
…だが川瀬が好きだというから。
私は仕方なく、応じているのである。
「……、」
自身でめどを広げるこの最中でさえも、川瀬は私の目を見つめている。
亀頭の先と触れあった瞬間、いつもその大きさに不安になる。
けれど彼の性器はすでに濡れていて、私の体温と混ざり合い、ゆっくり溶け合っていく。
「…、…!」
彼を飲み込んで行くにつれ、反り返っていく私の性器。
川瀬にもばれてしまっているのに。
いっそ罵って馬鹿にして萎えさせてくれればいいのに。
彼はただ、私の髪を撫で傍観するばかりだった。
「ぜ、全部……はいった…、」
胸にもたれながら、上目で彼に訴える。
「でも目の色は変わらないね」
「……、」
「…自分で動きたい?」
何故そんなことを聞くのか。
我に返ってみれば、あさましいことに、すでに私は腰を前後に揺らしていた。
彼の亀頭を好きな場所に当てて。
好きな速度で。
恥ずかしい行為であることすら忘れていた…。
…私はまた返事を忘れて、川瀬の目を見ずこくこくと頷いてしまう。
「もっと動いていいんだよ」
「でも……、」
「いいこにできるなら」
その言葉に、許されたような気持ちになる。
もたれていた上体を起こせば、正面から手を繋いでくれる。
私はそれを支えに、身体を上下に弾ませた。
「綺麗だ」
「かっ…かわせ、……、」
「本当はいつも、そう思ってるんだよ」
川瀬は涼しげな表情のまま、その目尻を赤く火照らせている。
私はなによりその顔が好きで。
もっと色づかせたいと律動を早める。
すると彼の性器が大きく膨らむので、私もまた気持ちよくなり……
あぁ結局、私は私のために動いてしまっている。
「川瀬っ……、いきたい、」
「我慢して」
「!」
手を解かれて、彼の肩に回すよう催促される。
おずおずと従えば、身体を密着させたまま立ち上がられた。
「!!」
そうしてそのまま、ベッドへと落とされる。
フカリとした感触にとろけそうになるのも束の間、
彼はより深く、腰を進めた。
「ぁっ……そ、そこ…!」
「だめ?」
「だ、だめだ……っ!」
「だめならやめる?」
「…!」
「正直者なら、どうしてほしいかちゃんと言って」
声を出すなといった癖に。
耐える私を見下ろして、笑みを崩さない彼。
それはいつもの笑みと変わらない、
愛おしそうに私を見て細められている。
「……もっと、して欲しい、」
私が手を伸ばせば、何も言わずとも身体を倒してくれた。
その肩をぎゅっと抱き寄せれば、
私の肩口で彼も余裕のない吐息を漏らした。
「いつもより、興奮してる?」
「そっそんなことは……!」
「君って恥ずかしいの好きだから…たまには外も良いかもね」
「…!?」
真意を問いただそうとする暇も無く、さらに突き上げられる。
その黒い目に見下ろされながら、私は声を震わせた。
「いっ、いきそう、…!」
「いいよ、出して」
包むようにして、私の性器に触れる川瀬。
口元ではじける水音は、私の理性の溶け出す音のようだ。
…声を出さずとも。この身体から響く音は、きっと隣に聞こえてしまっている。
恥さらし極まりないと、思うのに……。
「…!!」
「いって、」
川瀬の柔くも大きな手の平に、私は熱を吐き出した。
彼の性器は私の中で、余すことなく吐精する。
…湿気と言い逃れできないほど、身体中が汗ばんで。
川瀬も荒い呼吸を隠せていない。
その体温が愛おしくて、足を絡めて身体を引き留めてしまう。
川瀬も私の我が儘に気がついたのだろう、
離れられないことを知ると、はっと笑った。
それから彼は私の髪を撫でながら、しつこいまでにまぶたや鼻に口づけを落としていく。
私が負けて足を解けば、
彼は身を起こし。
ゆっくりと、性器を引き抜いた。
出されたばかりのそれが、私の中から溢れる。
…抜くだけでまた私の身体は反応してしまったが、
見られぬように身体を横にした。
「川瀬…、聞こえてしまったかな、」
「……」
「隣…」
川瀬の目を見られないまま、私は敷き布団の表面をつねっていた。
そんな私の肩や横腹に痕をつけていく川瀬。
私の問いに、くすぐったい声を吹き付けた。
「聞こえてるかもね」
「だ、だが。静かなのは寝てるということだよな」
「そうであって欲しい?」
「当たり前だろ!で、でなきゃ……」
我に返った今、火を噴きたいほどの羞恥心があるのだ…。
川瀬も当事者であるのに、罪を詫びる様子はない。
「聞こえてたら、どうする?」
「…」
「耳を澄ませて息を殺して、こっちの音を聞いてる奴がいるとしたら」
「っ気味の悪いことを言うな…」

「だから直接聞いてみよう」
「へ…?」

ベッドを降りて、衣類を拾い上げる川瀬。
ジャケットの中から手袋を取り出しながら、なにやら壁へと近づいていく。
「お、おい…?」
壁に掛けられていた、一枚の絵画。
厳格な顔つきのその貴族はまるでデスデモーナの父・ブラバンショウのようである。
それをやすやすと取り外すと、私に手渡してくる。
絵画にしては、軽い。偽物か。
そうして窓辺の灯りへ持っていこうとすれば、不思議なことにその目が赤く光って見えた。
「ん?目に穴が空いてるぞ」
「のぞき穴だ」
「!?」
川瀬の方を見やれば、壁に空いた穴に視線をねじ込ませている。
ど、どういうことなのだ。
のぞき穴とは。
この壁から。この絵画を通して。誰かが見ていると……。
壁を蹴る川瀬。
すると壁の四辺から、鈍い音とともにホコリが舞う。
「説明しろ川瀬!!」
「床の模様がここで不自然に途切れてる。しかもこの壁だけ木の板でできている。
 …何かあるんじゃないかと思ったけど」
「ってことは川瀬…お前、さ、最初から……」
壁を支える根幹の、何かが外れる音がする。
川瀬が壁を軽く突き放すと、それはゆったりと隣の部屋に倒れ込んだ。
「!!!」
何もない部屋。
けれど部屋の隅には、受付の老爺が立っていた。
そして傍らには、黒い機械が置かれている。
…この状況を理解出来ない者が二人。私と老爺である。
倒した壁の上に乗ると、ゆっくりと老爺に近づく川瀬。
今、彼だけがこの現状を理解出来ていた。
「それ、ミッチェル撮影機だ。なかなかいいモノで撮ってくれたんだね」
「……!」
「…どうしようかな、警察呼んじゃおうかな」
「それだけは…!」
「でも悪い奴はさばかれないと、」
老爺をさらに壁に追い詰め、怒鳴るわけでもなく責め立てる。
その静かな攻防に私はくらりとめまいを覚えて、またもやベッドに横になった。
…あぁ、すっかり忘れていた。
川瀬といると、いつもこうだ。


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警察の世話になるのは、これが六回目であった。
そうして新聞に彼の名が載るのは、同じくまた六回目である。
「……、」
私は届いた新聞を読み切ると、じとっとした目で顔を上げた。
今日はあの夜から二日後。
新聞記事に明かされた、あまりの事件の重大さに、私はしばらく言葉を失っていた。
…まずあの老爺は、他にも何百本と映像を所持していたらしい。
それを真夜中、近くの活動写真館を貸し切って、
知る人ぞ知る放映会を開いていたのだという。
しかも金は取らなかったというのがさらに不気味だ。
あの老爺は金儲けなどではなく趣味で、ただの性癖で、
あんなことを続けていたのだという。
交わっているなら男女を問わないというからさらに底知れぬ……。

「……」
空は青々と晴れ渡り、けれど日差しは痛くなく。
梅雨の終わりと夏の始まり。私の好きな季節である。
こんな日曜は勉強の手を休め十二階へ遊びに行くのが良いだろう。
この空を見た時、すがすがしくそう思えたのだが……。
そんな場合ではない。
私は新聞を丸めると部屋を出、一階の居間にいるであろう川瀬の元へ向かった。

…川瀬は事件を呼び寄せる。
事件が解決シテクレと言わんばかりにあいつのもとに飛び込んでくるのだ。
先日道を歩いていて、やつはなんと言って呼び止められたか。
探偵サン、だ。
死に神にでも取り憑かれているのではないか。

階段を足早に下りて、これまた足早に彼のもとに向かう。
シバラクノ外出ハ控エロ!
そう伝えようと思ったのに。
「……?」
居間のカーテンは閉め切られ、部屋の灯りは消えている。
不思議なことに、机の上に見慣れぬ機械が置いてあった。
そしてさらに不可解なのは、三條くんがもくもくと機械いじりをしていることだ。
「三條くん!?なんでェ!?」
「わからん!なぜ彼がここに…!!」
当然彼と私の関係は、東洋キネマの店員とその客である。
その店員がなぜここにいるか。そしてなぜ映写機をいじっているのか……。
ふとこちらに気がつく三條くん。
いつものまん丸な目は忌々しそうにつり上がっている。
「どうだい調子は」
「!!」
珈琲の湯気をくゆらせながら、私の横をすり抜ける川瀬。
三條くんの目も彼に向けられており、
とにかく私は差し置かれている様子だった。
「へーい。いー感じっすー。あとはソチラさんでやってくださいねー」
「ご苦労さま」
近づいてきた三條くんに、なんと一円札を五枚手渡す川瀬。
守銭奴・三條くんは一瞬瞳を金貨色に輝かせたが、コホンと咳をついて我に返る。
そうしてイーっと歯を剥きながら、居間を飛び出していった。
「おはよう玉森くん。昼まで寝るとは良いご身分だね」
「ど…どういうことなのだ、川瀬」
ふらふらと窓辺に立ち寄り、カーテンの隙間に首を突っ込む。
窓辺からは庭が見えて、三條くんが走って出て行く様子が見られる。
門の外には不正規連隊が集まっていた。
彼がその輪に飛び込むと、こそこそと語り合う彼ら。
そして塀の向こうに隠れたかと思えば、ひょこひょこと顔だけだした。
「なぜあいつらの仲間を家に入れたのだ……!」
「映写機を手に入れたのはいいんだけど、どうしても動かせなくてね。
 彼なら詳しいかと思って」
「あぁのな。帝都中がお前をheroと思って居る!だがあいつらは…!って、」
カーテンから顔を引っ張り出し、イライラと振り返ったその瞬間。
壁一面に、私のあられもない姿が映し出されていた。
「お…お……!!!」
「このフィルムだけこっそりもらってきたんだ」
「な、…なんで……?」
「もったいなくて」
「ばっ、馬鹿、なのか……!?」
「結構綺麗に映ってるね。窓の明かりで輪郭がくっきりだ」
「やめろ!!!今すぐ止めろ!!」
静止しようとしたところ、腕を掴まれストンと椅子に座らせられる。
「…!!」
あの爺。私の顔を、拡大して撮ってやがる。
そして舐めるような流線で、全身を映していく。
…これは匠の技だ。
撮影機で撮っているとは思えない、人の視線そのままの動きだ…。
私に立ち上がる気力は、二度と残されていなかった。
「よ、よく平然と……珈琲が飲めるな、」
「君の分もあるよ。砂糖一杯のやつだ」
「にゃはは……」
「ねぇ玉森くん」
「なんだ…」
「撮影機、買おうか」
「はぁ!?にゃはは…!?いい一体全体、何に使うつもりだ……!?」
もはやいかに川瀬が詭弁を述べるのか見物である。
カメラを回してその場でいたして。
だが川瀬がそれで満足するだろうか。
あの爺のような仕事ぶりを誰かに求めるようになるのではないだろうか。
この文明の利器をどう侮辱するのか、
これほど川瀬の言葉に期待したことはない。
「青空を撮ってみたくなったんだ」
「!」
そう言って川瀬は、私の膝を枕代わりに横たわる。
例え不純なものとして、それをまっすぐ見つめる瞳の美しさたるや。
「玉森くん。綺麗だ」
「……」
私は視線をさまよわせ、くらりと宙に目を投げた。

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