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「ポツンと打つたピリオツド」表

外はすっかり暮れきって、暗い車窓に悩ましげな私が映る。
初秋の空気に身体が冷え、袖の中で腕をさすった。
カオルは眠っている。
私の斜め向かいには少女とその母親がいて、あとはまばらに客が乗っている。
汽車の軋みを除けば、静かな帰路だった。
少女はお手玉を弾ませ、器用に数を数えていた。
ぽんぽんと空を飛ぶお手玉を見ていたら、
つい私も心の中で数えてしまう。

 

一、二、三と。
それが七に達しようとした時だった。


突然汽車が停車して、勢い余ってお手玉が飛び散る。
カオルは私の胸に飛び込んできた。


「?」
狐の面が、傾く。
こんな時くらい外せばいいのにと思いながら、鼻先を押して位置を正す。
座席についたカオルだが、なお仮面の位置が気になる様子だ。
その目に笑いかけてやれば、
カオルはぼんやりと首をかしげた。

「ついた?」
「止まった、」

窓を開けて顔だけ出せば、汽車は田園の真ん中で止まっている。
次の駅へはまだ遠い。
暗がりに目をこらすと、先頭車両から乗務員が降りてくる。
灯りを持って、線路や車体を確認しているようだった。
風に紛れ、鉄の匂いがする。
…汽車が働きすぎたせいか。それとも人が働きすぎたせいか。
私が身体を戻せば、カオルの首は反対側にかしげられていた。

「人をはねたようだ」
「事故、」
「死にたかったんだろうよ」

扉が開く。
厳めしい面の乗務員がやってきて、泳いでいた乗員の視線を一つに集めた。
私が窓を閉めると、彼はコホンと咳をついて語り出す。
「事故がありました。汽車はしばらく動きません。
 お急ぎの方は線路に沿って、隣村まで歩いてください」
「人はねただけだろ?いちいち止まるなよ!」
「動輪に肉がからまりまして」
「ん、んなもんどうにか、…勢いでどうにかなるだろ」
「動かないものは動きません」
静まる車内。
彼は二等車へと戻っていく。
人形よりも無愛想な態度から、慣れを感じた。

とにもかくにも。短気な男のおかげで状況がわかった。
私たちの降車駅は、次の次の村である。

「カオル、歩いて行こうか」
「…うん」

眠らんとするカオルにウンと頷かせて、
私たちは席を立った。


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線路沿いのあぜ道に、秋の虫が鳴いている。
山の向こうはほのかに明るく、
けれどそれももうすぐ夜に沈もうとしている。
道の先を先ほどの親子が行く。
降車したのは、私たちと彼らだけだった。
少女は野ウサギのように、ぴょんぴょんと跳ねる。
こんな夜分に何を楽しいことがあるのだろう。
少女は母親に手を取られながらも、
何度かこちらを振り返った。
どうやらカオルが気になるようだ。

「あんつぁ!」
「?」
「お手玉くれっからお面くれー!」
「だめ」

母親を見上げる少女。母親は私たちに向かって会釈し、
少女の手を強くひいた。
少女はなおもカオルに目を向ける。

「なじょしてー?」
「連れてかれちゃうから」
「どっちゃ?」
「どっか」
「でこすけっ!」

ぷんと顔を膨らませ、不機嫌に歩み出す少女。
叱る母親と、言葉が通じず何も分かっていない様子のカオル。
おかしくて笑ってしまえば、
カオルはさらに不思議そうにしていた。
不思議なのはお前のほうである。

カオルは己を人でない物と思い込んでいる節がある。
仮面を被り続けるのも、俗世と混ざって自分が何者であるか見失わないためだとか。
もっと簡易な言葉で説明された気がするが、私にはよっぽど難解だった。

私は時折、カオルが私の幻想ではないかと疑ってしまうことがあった。
だが彼の寝顔を見る度、こうして他人と接するところを見る度、
考えすぎかと笑えてくるのだった。

隣村の灯りが見えてきた。
村は赤や黄色の光でぼんやりとした輪郭を成して、
空に太鼓の音を高鳴らせている。
開けた駅前には、
狐面を被った老婆が立っていた。

「おばんちゃー!」

仮面を脱いだその下には、朗らかに笑う老婆。
少女は仮面を貰うとさらに機嫌を良くして、
皺のある手を引っ張った。
みな祭り囃子の喧噪に溶けていく。
私の村へと続く線路の先は、薄闇に沈んでいる。
いつの間にか立ち止まっていた足を動かせば、
羽織をツっと引っ張られた。
「寄ろ、」
「金魚は飼えないぞ?」
「少しだけ」
仕方なしにきびすを返す。
するとカオルは仮面を外し、私にかけた。
「あのな、」
この夜は我の物だと言わんばかりに、満面の笑みを浮かべていたカオル。
久しぶりに彼の素顔を見た気がして、
私もどきりと絶句した。
ハレとケは、今、確かに入れ替わっていた。


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灯りと熱気に満ちている。
何を祭っているかもわからない、規模あるものでもないのに、
高鳴る祭り囃子に心が勝手に躍らされていく。
カオルは私の手を取って、少し先を歩く。
その歩みに引っ張られているせいか、
夜が揺れているような気がした。

「祭りに来た事はあるのか?」
「うん」
「どこの祭りだ?」
神田祭りか。それとも浅草の祭りか。
「ここ」
「……、」
「おじさんと来た」
「そうか」

おじさんとは店主のことであり。そして私のことでもあり。

「何を買った?」
「飴」
「ならよりでかいのを買ってやろう」
「……!」

はっと、何か見つけた様子のカオル。
その視線の先には、飴細工の屋台が出ていた。


それから私たちは、赤く身のふくれた金魚を一匹飼った。
祭りの盛り上がりを背に、私たちは名残惜しく帰路につく。
境内からの帰り道には、かざぐるまが並んでいる。
祭りへ引き戻そうという風に、しゃらしゃらと鳴いていた。

「おじさん」
「ん?」

少し先を歩いていたカオルが、振り返って私に問う。

「頭としっぽ、どっちがいい?」
「頭だな」
飴細工を手渡される。
もういらんのか、と頭を舐めていれば、
カオルはかみ砕くようにしてしっぽをもぎとった。
がりがりと飴を砕く彼。
その子供らしい仕草に、私は思わず笑ってしまった。

カオルは変わらない。
初めて出会ったあの時から、彼の時は止まったままだ。
日に当たらないせいか。
それとも本当に、彼は物の怪なのか。

「なぁカオル。仮面はここに、置いて行こうか」
「……、」

かざぐるまの一つに、仮面をかける。
歩みを止めたカオルの横を、私は通り過ぎた。
振り返れば、カオルはその場を動けないでいる。
「落ち着かないか」
「……、」
「私は、素顔のお前が好きだよ」
「カオルも、おじさんのことが好きだよ」
噛み合わんなあ。
「にゃはは、」
笑ってしまった私の負けだ。
私の元へ戻ってきた彼は、私の手をひいた。
「楽しかったね」
「あぁ」


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村に帰っても、私たちに迎えはない。
ひまわり畑は枯れ果てて、夜空には月が浮かんでいた。
秋の夜だ。

いやはや、思ったよりも時間がかかってしまったな。
なだれ込むようにして家に入るも、靴だけはきっちりと玄関に並べる。

居間に戻れば、寝室との襖が開け放たれたままで。
十二年ぶりの我が家は、あれから何一つ変わっていなかった。
灯りを点けるが部屋の隅までは照らせない。
心許ない灯りでも、私はほっと息がつけた。

机の前に腰を下ろし、
鞄の中から原稿を取り出す。
ここへ戻ってきたのも、祖母の墓参りだけが理由ではない。
水谷くんの催促から逃げるためだ。
原稿は出来上がっている。けれど満足のいかぬ物を提出できるわけがない。

カオルは縁側に座り、空を見上げている。
その背中を構ってやりたい気になっていたが、
私は原稿に目を落とした。

「おじさん、満月」
「あぁ、満月だ」
「こっち来て」
「終わったらな、」
「……」

沈黙される。
ふと顔をあげれば、カオルは軒に出ていた。
私は引き続き原稿に目を通しつつも、カオルの様子に耳をそばだてていた。

「雪、降ってきた」
「嘘をつくな」
「本当」
「……、」
ついまた、カオルに目をやってしまう。
あんまりまっすぐな目で見やるから、私もそらせなくなってしまう。
筆を置き、縁側に向かう。
カオルは不思議だ。
だからこの秋に雪が降るなんてことも、ありえるかもしれない。
ありえてしまうかもしれない。

「嘘をついたな」
「うん」

真白い月が浮かんでいるだけじゃないか。
騙されにきた私に向かって笑うカオル。
こちらに近づいてくると、
丁度目線の高さが合った。

下から口づけられる。

「まだ甘い」
「お前もな」
「布団でしよ、」
「当たり前だ。外で出来るか」
「ニャハハ、」
「ただし、私の仕事が終わったらな」

慰めるつもりで、頭をぎゅっと抱きしめる。
柔い髪から、秋の香りがした。

机に戻れるとカオルも私の後をついてくる。
あぐらをかいて座る私の後ろに、身体を丸めて眠りだした。
羽織を掛けてやれば、気持ちよさそうに口元がほころぶ。
「おやすみ、」
「うん」

いつか、この村に帰ってこようと思う。
ここには田畑があり、川がある。
ほんの少し先のことを考えられる力があれば、
生きることに困りはしないだろう。
たとえば、春の寒さは三日以上続かないとか。
秋に朝露を見たならその日は晴れだとか。
それだけでいいのだ。

私が居なくなったあとも、カオルが生きていけるように。
今から少しずつその道を探していこうと思う。
この気持ちは、先ほどの親子と同じだ。母親がいつまでも少女の手を離さないでいる、あの気持ちと……。




「……、」
ふと顔を上げると、外は白んで靄が立ちこめている。
原稿に最後の句点を落とした私は、
大きくその場で背伸びした。
それから原稿の角を叩いて均し、ほれぼれと字面を見つめ直した。
この原稿ならば、水谷くんへ胸を張って手渡せる。

カオルはまだ眠っている。
おだやかな寝顔と寝息が愛おしい。幸せだと思える。
私は灯りを消して、
それから彼の横顔に口づけを落とす。

「…おじさん」
「…、」
「来て、」

てっきり寝ていたものと思ったが。
カオルは浅く目を開き、嬉しそうに私を抱き寄せた。

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