top of page

​演 名前

​演 名前

​主人公大崎

新木場探偵社に勤務する若き探偵。
身長は六尺と大柄で、

初対面からの第一印象は大抵良くない。
無愛嬌ゆえ近寄りがたいと思われがちだ
が、
本当は真面目で物静かなだけの青年。
 

今回、依頼主・台場静馬と容姿が

似ていたことから
なり代わっての代理参列という
奇妙な依頼を引き受ける。

 

​主人公大崎

新木場探偵社に勤務する若き探偵。
身長は六尺と大柄で、

初対面からの第一印象は大抵良くない。
無愛嬌ゆえ近寄りがたいと思われがちだ
が、
本当は真面目で物静かなだけの青年。
 

今回、依頼主・台場静馬と容姿が

似ていたことから
なり代わっての代理参列という
奇妙な依頼を引き受ける。

 

新橋「あなたに依頼がございます」





探偵社に入った新橋さんからの一報。
自分は急ぎ、とある場所へと駆けつけた。

8月ただ中の金曜日。
山頂のレストハウスは観光客で賑わっている。
窓辺の角の奥まった席。
久しぶりに会う新橋さんは
伸びた髪を後ろで束ね、
寝起きのように服を着崩していた。

新橋「ご機嫌よう」
大崎「こんにちは新橋さん」
新橋「お呼び立てしてしまい申し訳ありません。
 早速ですが、こちら。今回の依頼料です」
大崎「結構です」
新橋「仕事であなたを呼んだのですよ?」
大崎「丁度手隙だったので、早退してきました」
新橋「……いいから受け取りたまえ。
 暇人。貧民。貧乏人」
大崎「そんな言葉でやけになる自分じゃありません。
 諦めてください」
新橋「俺が非常識な男だと、
 あなたのお身内に思われたらどうするのです」
大崎「自分には、常識的な態度をとってくれないんですか?」
新橋「ですから、常識的な額を包んでいます」
と、無理矢理押しつけられてしまった。

 


窓からは大磯の町と海とが見下ろせる。
ここ湘南平はもとは千畳敷というかしこまった名前だったが、
風致公園を目指して今に改称された。
自分たちとは縁のない場所だ。
そんなところへ呼び付けられて、
一大事だとみていたが——
大崎「それで、依頼内容は」
新橋さんは一枚のハンカチを取り出した。
怖々と、丁寧に、丁重に、机に置く。
四つ折りにしてもなお大きい白布だった。
新橋「前回の公演の後、こちらが客席に置かれていました。
 あなたには、

 このハンカチの持ち主を探していただきたいのです」
自分も彼と同じ、ゆっくりとした手つきでハンカチに触れた。
ハンカチの端にはこのレストハウスの名前が刻印されている。
持ち主とこの場所に、

何らかの縁があることには間違いなかった。
だが……難しい依頼だ。
新橋「雲を掴むようだとは承知しています。
 ですが平塚にお住まいのあなたなら、
 何かわかるかと……」
大崎「確かに平塚と大磯は隣町ですが、
 大磯はとくに観光開発が進んでいます。
 このレストランも今年の春に出来たばかりです」
新橋「では持ち主は近隣のお住まいではなく、
 観光で訪れた可能性もあると……」
大崎「はい。ハンカチもそこの売店で買えるもののようです」
自分はレジ横を指差した。
ハンカチやペン、珈琲豆などが土産として売っている。


店は始終、混んでいた。
炎天の逃げ場が無い山頂だから、
涼を求めて人が集まる。
南国の音楽と、
子供の笑い声と、
食器がざわつく陽気な場所で、
新橋さんは影のように濃い珈琲を啜っていた。


新橋「ハンカチの持ち主は上手最前列、一番端の席の方。
 髪の短い女性でした」
大崎「そこまでわかっているんですか」
新橋「昔からいらっしゃる方なのです」
今や千人に届く大劇場を震わす作家が、
舞台袖に出、一観客を覚えているとは。
大崎「人相書きを作って、ウェイターに聞いてみましょう」
新橋「そのつもりでしたが——注文も取りに来られない」
ウェイターは複数いるが、皆忙しくしている。
仕方なく新橋さんのアイス珈琲を奪って飲んだ。
新橋「あ」
大崎「いずれにせよ常連なら、

 ハンカチを返す方法は他にもあります。
 明日の新作公演で、
 会場に来られたところを——」
新橋「いらっしゃらないかもしれません」
新橋さんはそう言って唇を揉み合わせ、わずか沈黙した。
そして、今にも泣きそうな目を起こす。
自分はハッとした。
この時初めて、彼の焦燥に気がついた。
新橋「——このハンカチは忘れ物ではなく、
 俺への贈り物かもしれないのです。
 ご覧ください、手縫いの刺繍の数々を。
 こちらの「外灯」は去年の公演のモチーフ。
 こちらの「虫眼鏡」はさらに以前のモチーフ。
 そしてこちらの刺繍は、プルートの劇団マーク」
すると何故だか急にハンカチを持つ手が重たく、
そして温かく感じた。
新橋「お考えください。
 これが俺への贈り物だとして、
 何故、ハンカチだったのでしょうか?
 贈り物の形はいくらでもあります。
 腕時計でも、万年筆でも、手紙でも。
 けれど、ハンカチだなんて……」
大崎「どういうことですか」
新橋「ハンカチを贈る意味、それは——永遠の別れ」
彼は窓を向き、
海の色を瞳に汲んだ。
涙をこらえ。瞳の震えを波模様のせいにしようとしていた。
新橋「涙を拭かせるために、故人はハンカチを贈るといいます」
大崎「故人?」
新橋「この海を見、確信いたしました。
 あの方はもう、二度と劇場にいらっしゃらない。
 あの方はもう、亡くなっていると——」
大崎「……」
新橋「針目を見るだけでわかります。
 この方の繊細さ。敏感さ。
 そして広がる海。遊泳禁止の旗。
 もう、悲しい結末しか、見いだせません」
大崎「……」
新橋「せめてご家族にハンカチを返したい。
 しかし、俺は、なんと、無力な……」
大崎「最近眠れていますか?」
新橋「一週間はまともに眠れていません」
大崎「だから支離滅裂な思考になっているんですね」
新橋「貴様ァ……」
豊かな想像力が、悪いほうに飛躍しすぎだ。
ここは探偵である自分がなんとかするしかない。

まずは机の上いっぱいにハンカチを広げてみる。
外灯、虫眼鏡、赤いリボン、赤いヒール。
刺繍の数々は、プルートの上演作を辿る旅のようだった。
自分は机に顔を伏せ、ハンカチの匂いをそっと嗅いだ。
新橋「気持ち悪……」
大崎「匂いに手掛かりがあるかも知れません」
新橋「だとしてもみっともない……」
大崎「絶対に見つけましょう」
忘れ物でも贈り物でも、
その人に何かあったことには間違いないんだ。
すると——
大崎「珈琲の匂いがします。
 ハンカチの端にうっすらと」
新橋「珈琲?
 俺が注文したものと、混同しているのでは?」
自分は珈琲グラスに鼻を突っ込んだ。
新橋「ヒー!!!」
大崎「確かに……まったく同じ匂いです」

ここへウェイターがやって来た。

店員「お待たせいたしました。ご注文をお取りします」
大崎「アイス珈琲を——」




店員「きゃー!!!」




ウェイトレスの悲鳴に視線が集まる。
彼女はそんな周囲に気づかないほど、

机上のハンカチに目を奪われていた。

店員「あたしの無くしたハンカチ!」

大崎「え?」
新橋さんは硬直する。
周囲はすぐにもとの喧騒へと帰る。
自分はただ一人、彼女と向き合った。
大崎「あなたのハンカチで、間違いありませんか」
店員「はい。
 外灯、虫眼鏡、赤いリボン、赤いヒール、
 プルートの肉球マーク。
 全部あたしが刺繍しました。
 どちらでこれを?」
大崎「劇場の座席に」
店員「あたし、劇場に落としてたんだ」
新橋さんは頭を抱えて机に伏せた。
大崎「忘れ物だと思って、届けに来たんです」
彼女はハンカチを握りしめ、涙を浮かべた。
店員「お兄さんもプルートがお好きなんですか?」
大崎「えぇ」
店員「いつから?」
大崎「3年前——いえ4年前から」
店員「どんなところを?」
大崎「観客思いなところを」
店員「きっと優しい方ですよね」
大崎「作家自ら、客席を清掃するような方ですから」
普通なら、落ちたハンカチなど布くずとして片付けられてしまう。
しかし新橋さんは舞台の人だから
ハンカチを拾い上げた。
どんなものも、誰かの小道具かもしれないと。


新橋さんは席を立った。
自分は慌て追いかける。
ウェイトレスは早速、ハンカチを振って見送ってくれた。




外に出ると蝉時雨が耳を埋めた。
真夏の光は景色を霞ませ
影ばかりを鮮やかにする。
半身だけ振り返った新橋さんは、
下唇を突き出し、ふて腐れた表情をしていた。
しかし一滴、涙を落とす。
安堵の涙だった。
新橋「申し訳ありません。取り乱しました。
 とんだ杞憂です。
 持ち主が店員とは思いもしませんでした。
 早く気づいていれば、電話一本で済んだところを」
大崎「無駄足じゃなかったと思います」
新橋「……」
大崎「救えていましたよ」
新橋さんの人間分析は外れたことがない。
彼女の涙は、きっと心の深いところから汲み上げられていた。
だから今日、ここへ来てよかったんだ。




自分たちは町へ降りるバスに乗った。
新橋さんは糸が切れ、
珈琲の効果をものともせずにうつらうつらとしている。
自分の硬い肩に気がつくと、
彼は当たり前のように頭と体をもたれた。
その重さが心地よかった。



今日。
彼は依頼主で自分は探偵。

明日。
彼はプルートで自分は観客。

明後日は日曜日。
誰もが何の役でもなくなる日、
自分たちは恋人になる。





「湘南十景 -丘-」1959.新橋ルート

トップページへ戻る​​​​​​​​​​

bottom of page