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​演 名前

​演 名前

​主人公大崎

新木場探偵社に勤務する若き探偵。
身長は六尺と大柄で、

初対面からの第一印象は大抵良くない。
無愛嬌ゆえ近寄りがたいと思われがちだ
が、
本当は真面目で物静かなだけの青年。
 

今回、依頼主・台場静馬と容姿が

似ていたことから
なり代わっての代理参列という
奇妙な依頼を引き受ける。

 

​主人公大崎

新木場探偵社に勤務する若き探偵。
身長は六尺と大柄で、

初対面からの第一印象は大抵良くない。
無愛嬌ゆえ近寄りがたいと思われがちだ
が、
本当は真面目で物静かなだけの青年。
 

今回、依頼主・台場静馬と容姿が

似ていたことから
なり代わっての代理参列という
奇妙な依頼を引き受ける。

 

よく晴れた日曜。
片瀬の海風が、アクアワールドの巨大な白壁を撫でていく。
海辺にそびえるこの建物は、
今年新設された水族館で、
まだコンクリートの匂いも新しい。
吹き抜けの円形構造——中央には大きなプールが蓄えられている。
まるで海を掬い取ってきたかのような、
そのままの深い青さだった。


自分たちは屋上にいた。
新橋さんは双眼鏡にかじりつき、
落ち着きなく視界を振っている。
「——して。本当に、あの男は来るのですか?」
「間違いありません」

先日のこと。
新橋さんの劇団で
パールの指輪が忽然と消えた。
団員たちによると、
「外部の掃除夫」が倉庫から走り去る姿を目撃したという——

自分は男の素行調査を頼まれた。
そして思いのほか早く、
ある一つの噂に行き当たる。
「男は頻繁に質屋へ出入りしていました。
 あちこちで細々と盗みを繰り返し、金に換えていたようです」
「常習犯でしたか。
 よりによって、劇の要である小道具を盗むとは」
「幸いなことに、
 その指輪が換金された様子はありません」
「つまりまだ、男の手に……」
「はい。
 そして『週末のイルカショーで
 新しい恋人に指輪を渡すつもりだ』と、
 行きつけの酒場で豪語していました」
今日が「その日」だった。


「……っ見つけました!」
新橋さんが叫ぶ。
対岸、二階観客席の端、見覚えのある男がいる。
「隣におられるのが、件の恋人のようですねぇ」
「恋人?」
双眼鏡を借りる。
しかしなお、相手を確認できない。
「男の隣には、男しかいませんが」
「ですからその男が男の恋人でしょう」
二人は睦まじく腕を組んだ。
強い日差しに目が眩み、
自分は思わず双眼鏡を下ろす。
「……驚かないんですか?」
「?」
「男の恋人が、男であったことに……」
「別に、なんとも思いませんよ。
 役者の世界では珍しくもありませんし、
 偏見もございません」
新橋さんの意外な性格に、いつも驚かされる。
「それはそれとしてッ!
 ベタベタベタベタと熱苦しい!」
「落ち着いてください。
 指輪を押さえるなら現行犯です」
「今すぐ引き裂いたいところですが、仕方ありませんね」
「しかし問題は……
 男がいつ指輪を取り出すか」
「わかりきっています。
 もちろん「輪くぐり」の瞬間でしょう」
もちろん、輪くぐり……?

プール脇の舞台に
ボールやフープが並んでいる。
イルカ用の玩具だ。
それらは水面の照り返しを受け、
きらきらと宝石のように輝いていた。
一等眩しいのは、
空中に吊されたフープだ。

「このショー最大の見せ場、イルカの大ジャンプ。
 イルカがあの輪をくぐる瞬間、
 男は決行するはず!
 お、俺なら、その、一番、美しい場面で、
 指輪を取り出します……!」
「……何か、興奮していませんか?」
「は? 怒り以外の感情がありますか」
空想家としての期待と経営者としての怒り、
新橋さん自身、相反する二つの情熱に自覚がない。

しかし、さすが劇作家の洞察力だ。
恋する人間の浮かれた気持ちを、
数手先まで読んでいる。
何はともあれ、ショーが始まらなければことは動かない。

 

 

 

間もなく、軽快な音楽が流れ始めた。
潮騒がかき消え、
観客の注目も舞台へ集う。
足取り豊かな着ぐるみが現れた。
——くの字にまがった真白い体、大きな黒目、
足と思っていたのはどうやら尾ヒレ。
シラス……だろうか。


「レディ〜ス・アンド・ジェントルメ〜ン!
 女の子と男の子〜!」


「……竹芝さん?」
「はぁ?」
「着ぐるみの方の声、竹芝さんです」
「まさか、聞き間違いでしょう」
新橋さんは鼻で笑った。
「アクアワールドのイルカショーですよ?
 前座であろうと、
 
竹芝さん如きに声がかかると思えません」
「それは、そうですね……」
弁解のしようもない。
けれどなお、自分は舞台にばかり意識を向けてしまった。
今、見張るべき相手が他にいるというのに……。


「ハァーイ! 湘南アクアワールドへようこそ!
 イルカくんに会いに来てくれてありがとう!
 ボクはイルカくんの親友、シラスくん!
 カタクチイワシの子供だヨ!」


ボボボとマイクにノイズが混じる。
時折キーンと反響する。
その安っぽさが、申し訳ないが、竹芝さんっぽいんだ。


「これからイルカくんがやって来るヨ!
 でもその前に、
 いくつかお約束ごとがあります!
 聞いてくれるヒトー?」


「きくー!」

「ありがとありがと〜!
 まず、いっこめ!
 イルカくんはキラキラしたものが大好き!
 なんでも口に含んじゃうヨ!
 だからプールには物を投げ入れないでネ?
 わかったヒトー?」


「わかったー!」

「ありがとありがと〜!
 にこめ!
 イルカくんはいたずらが大好き!
 一階のお友達に
 お水をバシャバシャかけちゃうカモ〜。
 カメラやオモチャが濡れないように、
 カバンの中にしまってネ!」


子供は声で、
大人は拍手で返事をした。
シラスくん、見事な客捌きだった。
進行を慌てず、急がず、
観客一つ一つの声に身振りで応じる。
会場の空気が温まっていくのを感じた。
この陽気さに、新たに引き寄せられてくる客もいた。

「——そろそろイルカくんの準備が整ったみたい。
 みんな『せーの』で、
 イルカくんとお兄さんを呼ぼう!
 アっ忘れてた、
 お兄さんはイルカくんと仲良しのニンゲンさんだヨ。
 さぁ準備はいいかな?
 せーの、イル」

「逃げろおおおおお」


野太い男の声が響き渡る。
血の気が一気に引いた。

——舞台の裏には飼育用のプールがあり、
大プールとは水中で繋がっている。
その扉はまだ、閉まったままだ。
イルカは舞台と裏手を仕切る約3メートルの壁を飛び越え、
こちらの大プールへ着水した——


一瞬の出来事だった。
見事な跳躍に人々は感嘆を漏らす。
……それから遅れて「逃げろ」の意味を脳が理解した。


イルカが舞台へ飛び上がる。
シラスくんの横腹に噛みついた。

 

「うぎゃあああああ」

 

勢いのまま舞台を滑り、
水中へ引きずり込む。

マイクは最後、沈没音を拾って途絶えた。
イルカはシラスくんを咥えたまま、
プールを攪拌するように泳ぎ回った。
時折水面へ引き上げては、また深く潜る。
……何を、見させられているんだ。

舞台裏から汗だくの飼育員が現れた。
彼もまたこの光景を前に呆然と立ち尽くす。
しかしすぐに顔つきを変え、
どこかへと視線を送った。
すると、一層賑やかな音楽に切り替わる——


「こんにちは!
 トレーナーのお兄さんです!
 夏の特別ショー「海のともだち」へようこそ!

  もう、始まってるよー!」

「!?」

「イルカくんは肉食動物!
 イカさんやタコさん、
 柔らかいお魚を食べて暮らしているよ!
 だから元気いっぱい、力持ちなんだね!」

「へぇ」
「新橋さん大変です!
 事故が起きています!」
「段取りは最悪ですが、
 観客の反応は良いようですし。
 興行として成功では?」
「……!?」

凍てついていた観客たちが、
まばらに笑顔を咲かせ始める。
「逃げろ」と叫んだ飼育員は、
手拍子を煽っている。
シラスくんはなお、高速でつつき回されている。
こんなのがショーなわけがない。
……地獄だった。

そうか。


そういうことだったんだ。

 


声、身振り、極度の不幸体質。
シラスくんが竹芝さんであることは間違いない。

 

 

 

 

 

 

竹芝さんに依頼が来る時点で、
このショーは終わっていたんだ。

 

 

 

 

 

 

イルカが突然加速する。
シラスくんを空中へ放り投げる。
遠心力により高速回転し、
水飛沫をまき散らす。

ふと。
いつだったろうか。
酒席の記憶が蘇る。

『——なぁなぁ大崎君。この店、
 イルカの刺身あります〜やって』
『珍しいですね、頼みますか』
『イヤイヤ!
 イルカを食うなんておぞましいっちゅー話です。
 西洋じゃ神様の使いって言われてるの。
 魂をあの世に連れて行くんやって』

シラスくんがぴたりと止まった。
運良く、空中のフープに引っかかっていた。
真下ではイルカが顔を出し、
キャーキャーと甲高い声で笑っている。
……ひとまず、助かってよかった。


安堵も束の間、
双眼鏡を扱う新橋さんが
別方向へ前のめりになった。
「探偵様! 動きがありました!
 今、あの盗人の表情が変わりました!」
「?」
「真剣な面持ち……!
 何か行動を取るおつもりです!
 あぁーッと今! 片膝を地面につきました!!」
「え……?」
「あれは……指輪!?
 指輪です!
 
パールの指輪を取り出しました!!!
「絶対に見間違いです。
 今、告白する場面じゃありません」
「向かいます!!!」
新橋さんは階段を滑り降りていった。

プールへ目を戻すと、
フープごとシラスくんが横移動している。
蒼白の職員が、懸命に綱を引いていた。


「シラスくん、またね!
 続きまして——」

ショーは続く。
近くの客に座席を譲り、
歓声から遠ざかった。

施設の裏口で彼を待つ。
ほどなくすると、
肩を落とした竹芝さんが現れた。
髪からはまだ水が滴っている。
自分を見るなり、目を白黒させた。
「アエェ……? 大崎君……?」
「やっぱり、シラスくんは竹芝さんだったんですね」
「エェエ……。さっきの全部、見てたノ?」
自分たちは言葉少なに歩き出した。




別館、アクアランドに立ち寄る。
大きなクラゲ水槽の前で、
ようやく二人きり、腰を下ろした。
「——最悪や。
 なんでこないなとこにキミたちおんねん……」
「竹芝さんこそ、
 どうして着ぐるみを」
いつもは浅草で
マジックをしているはずだが。
「芸人仲間に頼まれまして。
 ぎっくり腰で動けへん〜
 誰か代役やってくれ〜って」
「……そんなことだろうと思いました」
「ナハハ。そうそう。
 普段のボクに、
 あんな大舞台、任されるわけないやん?」

今、ショーの歓声はどこにもない。
耳を満たすのは
水流とポンプの音だけ。
目の前にあるのは、
ため息のようなクラゲの拍動。
この光景をもの悲しく感じるくらいには、
自分の心も沈んでいた。

「……竹芝さん。約束してほしいことがあるんです」
「?」
「……仕事の安請け合いはやめてください」
「ンー」
竹芝さんは困った様子で目を細める。
他人が見れば呑気な顔だ。
自分だけが真剣だった。
「報酬の話じゃありません。
 あなたには、
 あなたの芸がちゃんと愛される場にいてほしいんです」
「ン〜」
「……あなたがあなたのままでいられる場所が、
 きっとあるはずです」
「言葉、選んでくれてありがとうねぇ。
 ボクが馬鹿なだけなのにねぇ」

自分は傍観者の分際で勝手に憤っている。
ぞんざいな運営も、
それを良しとする竹芝さんも、
全て我慢ならない。
それなのに……。

当の本人は、いつの間にかはにかんでいた。
「でもねぇ大崎君。
 こういう仕事、辞められへん。
 困ってる人見ると、
 放っとかれへんのです。
 どないしはったんですかぁって、
 ボクのほうから声かけてまう」
「……」
「誰に似たんやろなぁ〜」
「…………」
「キミのせいやなぁ〜」
「自分は身の丈に合わない仕事には手を出しません。
 失敗すれば、元も子もありませんから」
「ア゛……
 さっきの前座、やっぱ失敗してました?」
「……自分にとっては大事故でしたが、
 芸人の対応としては成功らしいです」
「ナハ〜♡」

 

 



湿り気が乾く頃、自分たちは外へ出た。
日差しは傾き、幾分か涼しい。
意外にも新橋さんが待っていた。

「探しましたよ、探偵様。
 こちら本日の謝礼です」
「すみません、犯人を追いきれなくて」
「いえ。指輪は無事に取り返せました。
 ——やはり、あんな場面で成立するはずがないのですよ」
彼は胸ポケットから指輪を取り出し、
またすぐにしまう。
それから冷ややかな視線を竹芝さんへ送った。
「あなたは何故ここに?」
「……ボクのこと、気付いてない……?」
「は?」
「あぁ〜エートねぇ〜。
 みんなで一緒にイルカ料理食べいこ!!?」
「はあ?」
「青魚に復讐したい気分なんです!」
「意味がわかりません!
 イルカは哺乳類ですが?」
「魚やないの?」
「魚なわけがありません」
「どうりであいつら賢いわけや、かなわんわぁ……」
「っちょ!
 探偵様、この男をなんとかしてください!」
新橋さんに絡みつく竹芝さん。
もつれる二人の背中を、自分はゆっくり追いかけた。



つくづく、ニンゲンは難儀な生き物だ。
金銀財宝を喜ぶヒトもいれば、
美味い飯のほうを喜ぶヒトもいる。
盗人の恋人もきっと後者だったんだろう。

自分はまだそのどちらでもない。

けれどいつか自分も。
一つの宝石より、
一つの海鮮丼を尊ぶヒトになりたいと思った。
そのほうがなんだか生き物らしい気がした。


食事をするたび思い出す。
シラスくんをかじる、

イルカくんの微笑みを——





「湘南十景 -肴-」1957.竹芝ルート

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