
演 名前
演 名前
主人公大崎
新木場探偵社に勤務する若き探偵。
身長は六尺と大柄で、
初対面からの第一印象は大抵良くない。
無愛嬌ゆえ近寄りがたいと思われがちだが、
本当は真面目で物静かなだけの青年。
今回、依頼主・台場静馬と容姿が
似ていたことから
なり代わっての代理参列という
奇妙な依頼を引き受ける。
主人公大崎
新木場探偵社に勤務する若き探偵。
身長は六尺と大柄で、
初対面からの第一印象は大抵良くない。
無愛嬌ゆえ近寄りがたいと思われがちだが、
本当は真面目で物静かなだけの青年。
今回、依頼主・台場静馬と容姿が
似ていたことから
なり代わっての代理参列という
奇妙な依頼を引き受ける。
鎌倉は夏になると、海の匂いが町中に満ちる。
浴衣に着替えた水泳客が、
鶴岡八幡宮の境内をぞろぞろと目指すんだ。
この日、
自分たちは大鳥居の下で落ち合った。
「こんばんはー」
「こんばんは品川君。それと——」
「ほら、お前から挨拶しな」
「……」
「おい、自己紹介」
「…………」
兄の背中に半ば隠れ、隣の新木場さんの袖を握りながら、
小さな目だけでこちらを見つめている。
紙で出来た赤鬼の面は節分の名残か、角が折れてくしゃくしゃだ。
それだけ少年のお気に入りであることがうかがえた。
自分は視線を合わせようと背を屈めるが、
「やだ」
と即座に拒まれた。
「はぁ? あのな林檎、いい加減人見知り直せ。失礼だぞ」
「気にしないでください。
自分が黒い浴衣を選んだせいです。
怖いですよね、ぬりかべみたいで」
「いやいやいや」
「黒い大崎君がぬりかべなら、茶色い私はぬらりひょんかな。
赤い二人は小鬼の兄弟で」
「うちの探偵社って一体なんなんすか……」
「それだけみんな、和服がお似合いだということです」
一番浮かれているのは新木場さんだ。
今日の祭りは自分が誘った。
新木場さんは品川兄弟も招き、全員に浴衣を買い揃えてくれた。
しかし自分だけは、下駄も浴衣も、どこか馴染まずにいた。
「わざわざ浴衣なんて必要でしたか?」
「大崎君、浴衣は祭りのドレスコードですよ」
新木場さんは下駄を軽快にならして、大鳥居をくぐる。
自分らもその後に続いた。
鶴岡八幡宮の参道——段葛は、両脇に木々を従え、夏には涼しい日陰を落とす。
夕刻ともなるとただ薄暗く、近くの表情も曖昧になる。
人々は袖すれすれに歩きながらも、
誰も急がず、誰も急かさなかった。
広く始まり、やがて狭くなる段葛を抜けると、
人々は境内へ流れ。目映い屋台の灯りが自分たちを出迎えた。
祭りは欺瞞で満ちていた。
着色された小鳥。
湿気た型抜き。
当たりのない宝くじ。
だが祭りは許される。
非日常を体験するには、まず化かされることから始まるんだ。
そんな中、自分は目だけで屋台を渡り歩いた。
「先輩、何か探してるんですか?」
「えぇ。……あそこへ寄ってもいいですか?」
「そりゃもちろん。っていうか、えぇー……」
ようやく見つけたのはお面屋だ。
狐、猿、兎、縁起の良い面々の下に、
売れ残った赤鬼の面がひっそりといる。
自分は迷わずそれを手にとる。
子供の落書きのような、ふにゃりとした笑顔が愛らしい。
それを被って振り返ると、
林檎君はひょこりと顔を出し。彼のほうからまじまじと近づいてきた。
「なかまだ!」
「調子いいなこいつ……」
「素直で良い子ですねぇ」
「手繋ご!」
「はい」
「先輩がいいならまぁ、いいんすけど……」
それから自分らは境内の深い場所へ来た。
水ヨーヨーや輪投げ、射的。子供たちの歓声が境内に弾む。
気がつくと自分のお面は額に逸れていたが、
素顔になっても、林檎君の笑顔は変わらなかった。
暗くなると巫女が出てきて、ぼんぼりを灯していく。
ぼんぼり祭り——8月に行われる、鎌倉の夏越祭だ。
和紙で作られた四角いぼんぼりの一面に、それぞれ絵が描かれている。
鎌倉にゆかりのある、作家たちの書画だった。
それが約100基も列する様は壮観だ。
色づいたぼんぼりの周辺は、不思議と息が鎮まった。
絵が浮かび上がるごとに、皆、吸い込まれるように魅入った。
そしてここでも、新木場さんはひときわ嬉しそうに声を張った。
「さて、我が社 大崎先生のぼんぼりはどこだろう——」
その時。
人混みの中に、よく知る顔を見た気がした。
彼は通りを横切って、灯りのない、池のほうへと消えていく。
彼が暗んだその方向を、
自分はつい目で追っていた。
「大崎君? どうかしましたか?」
「いえ……」
「あ!」
と、品川君が指を指す。
——先日の依頼主が、鎌倉の文士だった。
水彩画の話題になり、
ついぞ特別に一つ、ぼんぼりを奉納させてもらえることになった——
題材は夕日の海。
昼間にはきっと見つけられないだろう、薄色の絵。
そこに蝋燭の日の色が混じり、柔らかな薄紅色を発している。
さながら太陽により、波がきらめくようだった。
「君の絵は静かで、心が洗われます。
やはりこのためだけにも来てよかった」
「……端っこに江ノ島。その向こうにうっすら富士山。
ということは、湘南の海。
目線の高さからして山の中腹。
もしくはどっかの家のベランダから見た風景……。
どうすか? ジブンの推理、当たってます?」
「正解です」
あの日の夕暮れは薄い雲が広がっていて。
昼と夜の階調を単純にしていた。
朝とも見紛える不思議な海の色を
彼と眺め。
彼はうつらうつらと「綺麗」と言った。
……本当は、この絵を一緒に見たい人がいた。
けれど誘いを断られてしまった。
その有明さんの幻を人混みの中に見るなんて、
自分は何かに取り憑かれているようだ。
いい加減切り替えようとした時、
林檎君が自分の袖を引っ張った。
「行かなくていいの? 探してた人のところ」
探してた人——?
「そんな人はいません」
「いたよ?」
「いたとしても、今は無関係ですから」
「足、痛そうに引きずってた」
「……」
「いいの?」
林檎君の不思議な声音が優しく刺さった。
何も知らないはずなのに、
自分と彼を、まるごと心配するようだったんだ。
……品川君に似て、推理上手だ。
自分は預かっていた玩具を脱した。
綿菓子、林檎飴、水風船、長すぎる麩菓子。
それらを皆に配る。
「先輩?」
「急用を思い出しました、先に失礼します」
「うぇっ! 本宮の参拝は? 屋台飯は?」
「また今度、いえ、近いうち」
自分はお面を被り直し、人波に溶けた。
「ぁああの! 俺も射的で取って欲しいモンあったんですけどー!
ってもういない!
……さっき素直に頼めばよかったッ……!」
「日頃の内偵が役立ちますねぇ」
「なんなんすかぁ……?」
池のほとりは静かだった。
ぼんぼりもまばらで、境内の雅楽も遠い。
有明さんは柵に腰掛け。その足下には男がひざまずいていた。
男の太い指が、有明さんの足を這う。
それを受け、くすぐったそうに彼は笑った。
自分は木立の影で立ちすくんでいた。
……先週の電話口、有明さんが予定をはぐらかしたその理由を目の前にして。
風が吹き、葉の隙間から光がこぼれる。
「——大崎さん?」
去ろうとした背を呼び止められる。
逃げようと思えば、逃げられた。
なのに立ち止まってしまったことが返事となった。
「痛っ——」
有明さんが立ち上がろうとしてうずくまる。
自分は潔く駆け寄った。
その腕を支えて立ち上がらせる。
すると意外にも、彼は全身を自分にもたれさせた。
「慣れない下駄で来たせいで、足をくじいてしまって……。
でも幸いでした、大崎さんがいらしてくれて」
「……」
「大崎さん、ですよね?」
確信しているだろうに、彼は伺う。
自分は観念してお面を外した。
どんな表情をしているか自分でもわからないが、
何か嫌な感情が明るみに出たように気がした。
……この男は、誰なんだ。
そんな疑心だ。
有明さんはこちらにもたれたまま、
男に向かって微笑んだ。
「付き添いありがとうございました。
ここまでで大丈夫です。
あとはこの方に送ってもらいますから」
「この人は……?」
「大崎さんは僕の——」
自分は男に会釈を送り、
有明さんの肩を荒く翻した。
段葛を無言で歩く。
ぼんぼりが灯る頃合いに帰る人など、自分ら以外にはいない。
大鳥居の近くの石段に彼を座らせ、
その足先に触れさせてもらった。
一目では捻挫の具合はわからないが、
足の甲に小さな水ぶくれが出来ていた。
「水ぶくれ、潰しますか?」
「……え?」
「潰したほうが痛みは早く和らぎます」
「あっ……いえ、このままで。
大崎さんはいつもそうしているんですか?」
「子供の頃はよく」
「……痛くないんですか?」
「最初だけ」
「それ、ちょっと変だと思います」
「……」
適当な処置。病院嫌いがバレてしまった。
……そんなことより。
今の自分の格好が、先の男とそっくりであるのが耐えがたかった。
「……タクシーを拾ってきます、それで帰ってください」
「ここにいた理由、聞いてくれないんですか?」
「……」
自分は思わず黙り込んでしまった。
彼はこんな自分をじっと見下ろす。
自分も見つめ返しているはずなのに、
彼の汗ばんだ首筋や細い指の揺らめきに気づいてしまう。
目が泳いでいることは、もはや隠しようもない。
「……休んでいきますか」
通りを離れた先にある、小さな茶屋。
二階の座敷に上がらせてもらう。
有明さんは片足を引き上げて椅子に座り、
氷嚢を当てている。
人の良い番台が作ってくれたものだ。
自分は彼の対面に座り。境内の方角の、明るい空を眺めていた。
会話は確か、自分の元で止まっていたかと思う。
「……あの人は」
「職場の後輩です。
ぼんぼりを奉納したから、見に来てほしいと誘われて」
「残してきて、良かったんですか」
「えぇ。今頃皆さんと合流していると思います」
「皆さん?」
「同僚たちと来ていたんです」
「……そうでしたか」
皆さんという言葉を聞き、自分は分かりやすく肩を下げてしまった。
……別に彼と有明さん、二人きりというわけではなかったということだ。
「彼は鎌倉住まいで、昔から八幡宮が遊び場だったそうです。
足を痛めた僕を、
人はけのいいあの場所まで案内してくれたんです」
「地元の方なら、一人で迷うことはありませんね」
「今頃、本宮辺りで落ち合っていることかと」
「……それにしても。
絵を奉納できるのは画人だけだと聞きました。
彼は絵に長けているんですね」
「賞をいくつも取ったことがあるそうで、今回も推薦だそうです。
とても綺麗なぼんぼりでしたよ」
「……」
自分は茶を飲むふりをして口元を隠し。
返事を濁した。
このまま飲み下してしまいたかったが、
抑えきれず、溢してしまった。
「随分親しげでしたね」
「えへ?」
「楽しい時間を邪魔してしまいましたか」
「あー……あの時は、
少し困ることを言われてしまって、苦笑いを返しただけなんです」
「なんと言われたんですか」
「うーん。言えません」
彼は肩をすくめて笑った。
「大崎さんはどうしてこのお祭りに?」
「仕事帰りに灯りを見つけて、つい立ち寄っていました」
「浴衣を着て、お面を被るお仕事って?」
「……守秘義務がありますから、答えられません」
「誰かの尾行調査とか?」
「それも」
「じゃあ今日の僕ら、隠し事だらけですね」
グラスの中の氷が崩れ、軽やかな音がする。
あるいは、彼の瞳がこちらに向く音か。
彼は悪戯に微笑んでいた。
「どうして怒ってるんですか?」
「自分は、別に——」
「彼に対して? それとも僕に?」
「……」
「いえ、いいんです。叱ってくれたって。
だって僕たち、恋人同士なんですから。
お互いを縛り合ったっていいでしょう……?」
その声にわずかな寂しさが混じって見えた。
「この茶屋に上がらせてもらえたのも、恋人の証拠です。
誰の目から見ても、僕たち仲良しなんですよ」
「番台はあなたの足を心配しただけです。
……あなたの後輩も」
「でも彼は、明日僕に聞いてくると思います。
あの人は誰なのかって。
今度こそちゃんと、答えますね」
「やめてください」
「どうしてですか?」
「……自分はかまいません。
ですが自分と関係があることは、
あなたにとって、よくないことかと」
「ですからどうして?」
「……」
「僕のこと、心配してくれないんですか?」
彼の繕っていた笑顔が解け、
不安げな表情が露わになる。
いつもの有明さんと様子が違うことは、
自分も最初から気がついていた。
「あの時、彼のお家に誘われたんです。足を冷やしましょうって。
あなたみたいに潰そうなんて言わなかったし、
タクシーで送り返そうともしませんでした」
自分はまた、目線を外に投げてしまった。
すると彼は意外な足取りで立ち上がり、
ぴとりと、自分の隣に張りつく。
狭い椅子に重なり合って座る。
天秤があるとすれば、
有明さんに傾くだろうと思った。
……それだけ自分は、恋人として失格なことをしてしまったんだ。
「……すみませんでした」
「本当にわかってますか? 自分がしたこと」
息づかいが酷く近づく。
「あなたは若い子に囲まれて。楽しそうに射的なんかして」
「!」
「僕が先に、あなたを見つけてたんですよ……」
「やましいことは何も……」
「ならどうしてさっき、仕事だなんて嘘をついたんですか?」
——まさか、
目の前を横切ったのも。
男へ愛想を振りまいたのも。
足を触れさせたのも。
全て、自分への当てつけだったのか……。
「嫌でした。大崎さんのにっこり笑顔」
「あれはお面の絵柄で……」
「射的で一番重たい景品を打ち抜いたのも」
「あれは偶然で……」
「輪投げで全部の棒を通したのも」
「あれは奇跡で……」
「ヨーヨー釣りで一気に五個も吊り上げたのも」
「あれは……反省しています」
子供の祭りを破壊してしまった。
「一番嫌なのは……こんな、僕自身なんです」
「有明さん……」
「呆れないで聞いてくれますか?」
「えぇ」
「僕以外の手、握らないで——」
相手は子供で、
何も心配することなどないはずなのに。
有明さんも子供のように、
その言葉を、苦く辛そうに吐き出した。
まるで自白を聞いてしまったような痛みが、
自分の胸にも染み込む。
せめてその痛みを多く吸い取れるよう、
自分は彼に口付けた。
人を愛すると、健全な他人さえ敵のように錯覚してしまう。
これが恋の作用なのだとすれば、
なんと愚かで、情けないものなんだろう。
だが。この臆病さに苦しみながらでも、有明さんから離れられない。
これもまた、恋の作用なんだと思う——
翌朝。
灯りを引いたぼんぼりが並ぶ無人の境内を歩く。
祭りの喧噪はすでに遠く、白んだぼんぼりは儚い骨のようだ。
有明さんは寂しげな自分の絵を、
深く長く鑑賞した。
「——それで、祭りにいらしてたんですね」
「以前あなたを誘ったのも、これが理由です」
「言ってくださったら、予定なんて変えたのに……」
「変に期待をさせて、がっかりさせたくなかったんです。
自分は素人ですし。こうして周りと見比べると……」
「大崎さんの絵、とっても素敵です」
彼は波をつついた。
和紙を崩さないよう、そっと、秘かな指使いで。
「……週末、うちに来てくれますか?」
「もちろん」
「夕日が沈むのを、また一緒に眺めたいです」
彼は前髪を耳にかけ、ふわりと笑った。
その笑顔ごと軽やかに体を浮かすと、
自分の手を取り走り出す。
「急ぎましょう!」
「有明さん、走らないでください!」
「これから仕事ですっ! 早く着替えて向かわないとっ!」
「それは、そうですが……!」
彼は足の痛みを感じさせない。
まるで最初から、痛みなど無かったように。
だとしたらなんと酷い欺瞞だろう……。
自分はまだ、祭りを抜け出せていないのかもしれない。
「湘南十景 -灯-」1956.有明Aルート
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