
演 名前
演 名前
主人公大崎
新木場探偵社に勤務する若き探偵。
身長は六尺と大柄で、
初対面からの第一印象は大抵良くない。
無愛嬌ゆえ近寄りがたいと思われがちだが、
本当は真面目で物静かなだけの青年。
今回、依頼主・台場静馬と容姿が
似ていたことから
なり代わっての代理参列という
奇妙な依頼を引き受ける。
主人公大崎
新木場探偵社に勤務する若き探偵。
身長は六尺と大柄で、
初対面からの第一印象は大抵良くない。
無愛嬌ゆえ近寄りがたいと思われがちだが、
本当は真面目で物静かなだけの青年。
今回、依頼主・台場静馬と容姿が
似ていたことから
なり代わっての代理参列という
奇妙な依頼を引き受ける。
明治の時代。
日本は欧米の技術を取り入れるため外国人の雇用を推進した。
ドイツの医師エルヴィン・ベルツもその一人で、
教師として来日すると、土地に根差して医療を支えた。
ベルツが湘南海岸を「理想的な保養地」と定めたことにより、
以降、海岸線に沿って十を超える療養所——
サナトリウムが築かれていく。
ベルツはとりわけ七里ヶ浜を愛したという。
『自分にとって、日本で最も美しい場所である』
そう書き記すほどに。
今日の七里ヶ浜は正午の光に焼かれていた。
波打ち際へ近づくと、
潮の香りに、消毒液の匂いが混じる。
それはすぐそばの丘に建つ、サナトリウムの眼差しだった。
波の中には15、6の少女がいた。
深緑の水着。
海藻のように黒いお下げ。
光の無い瞳。
電話の声の印象どおりだ。
「ご足労ありがとうごぜぇます。
探偵の……えっとぉ……」
「大崎です。あなたがグミさんですね」
「あい」
彼女のはにかんだ声は、
ときどき海風にかき消されそうになった。
「グミさん。早速ですが依頼について——」
「あのぉ……それがぁ……あのぉ……」
彼女は困った様子で広い海岸を見渡す。
「依頼は、このデッケェ浜辺にあるんです。
こないだここへ来た時、髪飾りを落としちまって。
あとは電話で話したとおりです」
「……」
「大崎さん。てぇへんなこっですが、
あっちと一緒に、探してくだせぇ」
乱暴な訛りに時々驚く。
しかし要約すると簡単なことで「落とし物探し」だった。
……自分は小さく首を振った。
「申し訳ありません」
「!」
「遺失物の捜索は警察の仕事です。
探偵に出来ることは、
そういった施設への問い合わせくらいなんです」
「そうですかぁ……」
それでも、彼女は笑顔を持ち直した。
「そんなら電話ん時に断りゃいいのに。
わざわざ来てくださるなんて。
しかも、デッケェ熊手まで背負って」
「捜索は警察の仕事といっても、
彼らは事件性なしに動けませんから。
今日のところは、自分が——」
こうして、
自分は砂を、彼女は波を、
並行して捜索した。
ふと。
熱い砂の中に、
桃色の光を見つける。
小さなサクラガイだった。
日に透かそうと掲げると、きらきらと砕けた。
「サクラガイ、そこら中にありますよー」
周囲を見渡す。
浜の煌めきは全て、様々な濃淡のサクラガイだった。
これでは目が眩む。
「髪飾りの特徴は?」
「緑色。
エメラルドより綺麗な、
緑色のガラスがついてるんです」
また浅く砂を掘った。
すると、鈍い光沢の貝が覗く。
「グミさん、こんな色ですか?」
自分は海へ寄った。
彼女は浜へ戻ってくる。
掌に乗せたこの貝を、彼女はまじまじと覗き込んだ。
「そうそう。
けどこれ、ミドリイガイだぁ」
「みどりいがい?」
「日本じゃ見られねぇ、南国の貝です。
よその船にくっついてきたんでしょう。
こりゃ——外来種」
強い波が、自分たちの足元を攫った。
濡れた足よりも、いつの間にか彼女の視線のほうが重く、
自分は動くことができなかった。
「あっち、あなたのことうんと恐ろしい人と思ってた。
けど、違うんですねぇ」
彼女はその貝を後ろ手に、
海へ向かって歩き出す。
潮目は太陽よりも眩しく、彼女や、浅瀬の人々を影にする。
皆痩せ細って、生気がなかった。
「ここにいんのは、サナトリウムの患者さんです。
潮風には海の栄養があるから、
息を吸うだけで健康になれるんです」
「……君も、ここの方ですか」
「いいえ。
あっちはもう治りましたんで」
彼女は両手を伸ばし、
斑状の瘡蓋を点々となぞった。
梅毒の瘢痕だった。
「こん傷をほこりに思ってるんです。
貝が異物を飲み込んで、綺麗な真珠を作るみたいに。
体が頑張って、傷をふさいだ証だって。
“せんせ”が言ってくれたから……」
「……先生……?」
波が高くなる。潮が足に粘りつく。
「あっち、あなたの声を聴いて、
狼みてぇな人だと思った。
鼻が利いて、執念深くて。
骨を咥えたらずぅっと離さない、頑固者。
でも会ってみると、違うのねぇ?」
……最初から、この依頼はおかしかったんだ。
「君はどこで自分の名前を?」
できるだけ冷静に問う。
「奥様とお話しされた時。
あっち、隣にいたんです」
「奥様……?」
状況が、掴めない。
「せんせの奥様。
あっち、せんせんちにお仕えしているモンです」
「先生、とは——」
「あー大崎さん!!
知らんぷりは駄目だぁよ!!!
がはは——」
彼女の声は強い海風に削がれ。
自分の思考もまた引き裂かれた。
「あなたに会うために、
嘘の電話をしたんですよ」
「何が、目的で……」
「あなたがいなくなって、せんせが苦しんでるから」
「え……?」
「だからもう一度、せんせに会ってほしいんです」
太陽が陰り、辺りは薄闇に包まれる。
彼女は真剣な眼差しをしていた。
自分は後ずさる。
諌めるように、雷鳴が轟く。
少女の怒号に思えて、全身の毛が逆立った。
——逃げなければ
踵に力をこめた、その時。
彼女は貝殻を握りしめ、自らの手首へ走らせた。
「君!!!」
とっさに波を掻き分け、倒れた彼女を掬い上げる。
腕からは多量の血が流れていた。
白昼の海岸は騒然となる。
背後の丘では、何も知らず車が走っていた。
「あれ……せんせの車……」
車から降りてきた男は、
浜辺の異常に気づかないまま、
サナトリウムへ向かう。
「大崎さん。
逃げないで……。
あたしを、せんせんとこに……」
見渡す限り、彼女を抱えて走れる者はいない。
……もう、考えている暇はなかった。
傷を塞げるのは医者しかいない。
自分は彼女を抱え、丘を駆け上がった。
「待ってください!!!」
玄関先で男を呼び止める。
男はゆっくり振り返り、先へ出ていた片足を戻す。
血まみれの少女と、その血で汚れた自分……。
彼女は男と瞳を交わすなり微笑み、
弱々しく指を伸ばす。
男はその指をしかと握り——ため息とともに目を細めた。
意外なその様子から、
彼女の傷は浅く、大げさだったことが伝わった……。
「せんせ。大崎さん。連れてきました」
「……」
「だって。来てくれないんだもん、大崎さん」
男は少女を抱き上げた。
それからわずかに背を屈め、
ようやく自分と目を合わせた。
「あの——」
「君は誰だ?」
「せんせぇ……?」
「……グミ。余計な手間を」
「どうしてぇ?」
「まったく。仕方のない子だ」
騒ぎに気付いた看護師たちが駆け寄る。
男の目線を受けるなり、
すぐさま彼の手足となって働き、
少女を屋内へと運んでいった。
男は血の付いた手を拭いながら、
再び半身を振り返らせた。
「少年。君は帰りなさい」
空になった両腕に上着をかけられる。
サナトリウムの扉は重く閉まった。
消毒液の香りに、潮風の匂いが混じる。
分厚い雲がなだれ込み、大雨を落とす。
自分の視界も輪郭も、何もかもぐにゃぐにゃに溶けた。
先輩がいなくなって二週間。
ジブンと新木場さんは、先輩を探している。
ジブンが先輩への依頼を断らず、その名を借りたのは。
先輩の不在を認めたくない、意地のような気持ちだった。
忽然と消えた大崎先輩。
何故か先輩の名を知る少女と、沈黙の医者。
そして先輩の家に残されていた、ある男の調査書。
そこに記してあった名は確か——
「市場前……?」
振り返る。
白壁のサナトリウムが雲のように膨れ上がって見えた。
二つの窓は市場前の視線そのものとなり、
ジブンをじっと見下ろしていた。
「湘南十景 -貝-」1956.市場前ルート