
演 名前
演 名前
主人公大崎
新木場探偵社に勤務する若き探偵。
身長は六尺と大柄で、
初対面からの第一印象は大抵良くない。
無愛嬌ゆえ近寄りがたいと思われがちだが、
本当は真面目で物静かなだけの青年。
今回、依頼主・台場静馬と容姿が
似ていたことから
なり代わっての代理参列という
奇妙な依頼を引き受ける。
主人公大崎
新木場探偵社に勤務する若き探偵。
身長は六尺と大柄で、
初対面からの第一印象は大抵良くない。
無愛嬌ゆえ近寄りがたいと思われがちだが、
本当は真面目で物静かなだけの青年。
今回、依頼主・台場静馬と容姿が
似ていたことから
なり代わっての代理参列という
奇妙な依頼を引き受ける。
8月12日、日曜日。
朝から雨が降っていた。
湿った空気は梁や畳にまで染み込んで、
家中の影を深めていく。
影色の合羽を着た男は
その雨とともにやって来て、
言葉巧みに玄関に居座った。
押し売り「奥様!!!」
大家「は、はい」
押し売り「暗い中で字を追いますと、
視力は一気に落ちていきます。
最近、旦那様が目を細めてばかり……
なんてことはございませんか?」
大家「夫はいませんの」
押し売り「失礼しました。
傘が様々ありますもので、
さぞ、賑やかなご家庭かと」
大家「下宿の方です。
学生さん二人と、会社員さんが一人」
押し売り「学生さん!!!」
男の目が嫌に光る。
待っていたと言わんばかりに言葉を拾い、
大きな鞄から電気スタンドを取り出した。
押し売り「蛍光灯は文明の光!
白熱灯とは明るさの質が違います!
学生さんの机に欠かせません!」
大家「あら……」
押し売り「しかも!この電気スタンドは
眼医者も使う代物なのです!」
大家「あらあら……」
押し売り「どうぞ学生さんの勉強のお供に。
または奥様の裁縫のお供に。
会社員さんには……」
大崎「いりません」
自分は階段を降りながら、
きっぱりと切り捨てた。
大崎「間に合っていますので、お帰りください」
押し売り「これは会社員さん。
どうです、点けてみましょうか。
ぜひ今の灯りと比べてもらって……」
埒があかない。
追い出そうと近づくと、
大家はその蛍光灯スタンドを抱きしめた。
大家「一本、いただきますわ!」
押し売り「さすが奥様お目が高い!!!」
自分の白けた視線の中で、
男と大家の商談は続く。
男は手際よく売り切ると、
そそくさと雨に消えていった。
大崎「……あの」
大家「早速点けてみましょう。
きゃあ、明るいこと!」
大崎「…………」
大家「駅も役所も、今は蛍光灯を使っているでしょう?
文明の光なのよ」
そこへ日出君が降りてくる。
足音を忍ばせ、
目は玄関の先を窺っていた。
大崎「今の男は押し売りです。
もう帰りました」
大家「いやぁね。訪問販売の人ですよ。
……それでね、日出君。
この蛍光灯スタンド、もらってくださる?」
日出「?」
彼は目をぱちくりさせた。
自室の机には
すでに白熱灯のスタンドがある。
自分が使い古した読書灯だ。
大家はそれを退けて、
早速、新しい蛍光灯スタンドを据えつけた。
ぱっと真っ白な光が広がった。
大家に促され、日出君は教科書を開く。
文字は思いがけないほど鮮明に、
黒々と浮かび上がった。
大家「これなら夜も安心ね。
いつも遅くまで灯りがついてるから、心配していたの」
日出君は遠慮がちに微笑む。
それから目を伏せ、新しい光の中で勉強を始めた。
見慣れた後ろ姿だ。
大崎「……お代はのちほど」
大家「いいのよ。
遅くなってしまったけど、
私からの入学祝いなの」
大家は軽やかな足取りで
階段を降りていった。
部屋はそのうち、
細やかな筆記音と、
雨音に満たされていく。
自分は身寄りのない少年・日出君を
親戚と名乗って引き取り、
初めての夏を迎えていた——
翌。
8月13日、月曜日。
打って変わってよく晴れた。
布団をたたみ、
寝間着を着替え、
近所の公園のラジオ体操に赴く。
三人で朝食を囲い。
二人に手を振って、
一人、仕事へ向かう。
そんな、一見普通の生活が続いていた。
新木場「——懐かしいですね」
職場で本を読んでいると、
上司の新木場さんが
自分の手元を覗き込んだ。
新木場「清少納言、枕草子。
国語の教科書は今、こんな表紙なんですねぇ」
大崎「日出君が使っている教科書と同じものです。
何か聞かれたときに答えられるよう、
自分も勉強しているんです」
新木場「そんなところも懐かしいなぁ」
新木場さんが自分にしてくれたことだ。
だが——
大崎「……こんなに、難しかったでしょうか」
教科書の内容もそうだが、
問題はそれだけじゃない。
暗に助言を求めたつもりだったが、
新木場さんは笑いながら昼休暇に出てしまった。
夕方。
喫茶店で珈琲を飲む。
8時を回る頃、日出君がやって来る。
窓辺の定位置に自分を見つけ、
いそいそと向かいに座った。
大崎「お疲れ様です」
彼は軽い会釈で応えた後、
すぐにメニューへ視線を移す。
夜間学校の生徒に、
春も夏も休みはない。
暗い帰りをこうして待ち合わせ、
夕飯をともにするのが習慣になっていた。
自分は毎回同じ、ナポリタンを注文する。
日出君は少し迷い、
今日はオムライスを選択していた。
食事を終えて席を立つとき、
自分は彼に手鏡を向けた。
大崎「口元、ついていますよ」
彼は最初に前髪を整え、
それから口の周りを拭く。
擦られて赤くなったその唇を見ながら、
自分はいつかの問題を思い出していた。
大家『日出君、お医者のお爺様と
暮らしていたんですってね』
大崎『えぇ、3年ほど』
大家『中学生にしては
読み書きも「お喋り」もしっかりしているでしょう?』
大崎『……えぇ』
大家『お爺様の本棚にある、
難しい本で勉強してたって聞いてね。腑に落ちたわ』
大崎『……日出君がそう、話したんですか?』
大家『そうよ。
将来は何になるのかしら。
作家さんかしら。
それともお爺様にならって、お医者様かしら。
真面目な子だから、お巡りさんも向いているわね〜』
大崎『あの、日出君が、話したんですか?
筆談ではなく、声で?』
大家『当たり前じゃないですか』
大崎『どんな様子で……』
大家『普通ですけど』
日出君は、普通に喋る。
自分の前でだけ、喋らない——
家の明かりが近づく。
玄関先には見慣れない男の影があった。
警官だ。
大家は心細そうに話を聞き入っている。
大家「大崎さん! お帰りなさい……」
大崎「どうしたんですか」
これに答えたのは警官だった。
警官「近辺で
留守を狙った盗難が相次いでいまして。
今、巡回しているところなんです」
警官は玄関をちらりと見た。
警官「外出の際は必ず戸締まりを。
夜間は玄関灯を点けておくと、抑止にもなります。
では——」
警官は隣の家へと回っていく。
日出君が恐る恐ると顔を出す。
彼はいつの間にか、自分の背後に隠れていた。
大家「空き巣なんて物騒ねぇ……」
自分たちは真夏だというのに
寒々とした心地で家へ入った。
自分は眠る準備をした。
日出君は今夜も遅くまで勉強するつもりなのか、
窓辺の机に取りついた。
しかし——電気スタンドの灯りが点かない。
カタカタと、スイッチは軽い音を発する。
なんだか気持ちが空回るような音だ。
大崎「明日の出勤前に、
一緒に電気屋へ行きましょう」
日出君は頷く。
大崎「今日の自習はお休みですね」
これにも日出君は頷く。
部屋の灯りを落とすと、
月明かりが差し込んだ。
一つの布団に、
それぞれの枕と、
それぞれの毛布。
冬場は二人して大きな羽毛布団を被ったが、
夏場は自然と間が空いた
大崎「日出君。おやすみなさい」
彼の目がぱちりと開く。
こうして視線を返してくれるが、
やはり、彼から声の返事はない。
自分は寝返りをうち、就寝した。
翌。
8月14日、火曜日。
商店街の電気屋へ蛍光灯スタンドを持ち込んだ。
店主「粗悪品だね」
大崎「訪問販売に買わされました。
値段自体は相場より安かったのですが」
店主「製造過程でよく出る廃品だ。
元手はほとんどかかっていないだろうよ」
大崎「本体に問題が?」
店主「あぁ。だから、蛍光灯を換えても意味ないね」
店主はふと、店の外へ目をやった。
日出君は店先に飾られた玩具を眺めている。
興味があるわけでもなく、
つま先をにじり、手持ち無沙汰な様子だ。
店主「あの子は知り合い?」
大崎「親戚です」
店主「そう。
ずいぶんぎこちないんで、よその子かと——」
日が強くなる。
窓越しに日出君と目が合う。
自分が見込みなく首を振ると、
彼は驚くことも、落胆することもなかった。
こうして、2日と経たずお役御免となった電気スタンド。
高く付いた文鎮は、
押し入れの奥にしまわれた——
夜。
私用が立て込み、帰りが小一時間遅くなる。
喫茶店の扉を押すと
店主は注文を待たずに珈琲を入れ始めた。
自分が座る席も、頼む物も決まっている。
珈琲に一口触れた瞬間、
忙しさが鼻から抜けて、
いつもの時間の、
いつもの呼吸が戻ってくる。
自分にこんな馴染みができるとは、
一年前までは思ってもみなかった。
何気なく鞄を開き、教科書に手を伸ばした時——
指が止まった。
鞄の中には、同じ色の表紙が、二冊。
片方は手に馴染む。
もう片方は——日出君の教科書だ。
朝のどさくさで、
彼の分まで持って来てしまったらしい。
自分は急ぎ、学校へ向かった。
夜の校舎は必要な場所だけが灯っている。
廊下と、職員室と、
教室の一室。
小窓から中を覗くと、当然、授業中だった。
黒板の文字は
自分の手元にある教科書と同じ単語を指している。
だが。
生徒の中に、日出君の横顔が見つからない。
職員室には教師がまばらに残っていた。
教頭を見つけられないでいると、
廊下側から声がかかる。
教頭「これは日出君のお兄さま。こんばんは。
どうされましたか?」
大崎「こんばんは。
忘れ物を届けに来たのですが……」
教頭「おぉ、大事な教科書を。
ですが本日、日出君はお休みのはずでは?」
胸がひやりとした。
大崎「休み?」
教頭「欠席の連絡を受けておりますが」
大崎「……学校に、来ていないんですか?」
教頭「えぇ。昨日、今日、明日、明後日。
お盆の四日間はご実家に戻られる予定だと
伺いましたが——」
教頭の目が徐々に細まっていく。
自分はそれ以上聞かず、
来た時と同じ早さで学校を飛び出した。
夜道を歩く。
そのうちとぼとぼと考える。
欠席。
四日間。
明日も明後日も休む予定を作って、
一体どういうつもりなんだ。
彼は今、どこにいる——?
探す手立てを失うと、
かえって心は平静になる。
壁掛け時計の秒針だけが動く。
珈琲の湯気は絶え、やがて夜色に深まっていく。
8時を回る頃、日出君がやって来た。
自分は机に教科書を並べた。
大崎「すみません。
君の教科書まで持ってきてしまいました。
授業は大丈夫でしたか」
彼は頷く。
その頷きがあまりにも自然で、
微塵も違和感がない。
日出君は確かに学校へ行き、
忘れた教科書をどうにか工面して、
授業を受けていたのだと——信じてしまいそうになる。
自分はナポリタンを注文した。
日出君は今日、サンドイッチを選んでいた。
すっかり暗くなった夜道を歩く。
相変わらず、自分たちに会話はない。
自分の足音、
日出君の足音、
それから彼のつく杖の音がバラバラに響く。
彼の緘黙を受け入れるつもりでいた。
しかしこれが沈黙と知る今、
重く、息苦しいものに変わっていた。
家の明かりが見えたとき、
すぐに異変に気がついた。
大家のそばに、大きな背中の影が二つ。
警官だ。
家の中にも警官がいて、
懐中電灯の光で床を掃いている。
大家「っ大崎さん!」
大崎「この騒ぎは……」
大家「ほんの、ほんの少しの間だったの。
切らしたお醤油を買いに出て、
戻って、お財布を金庫にしまおうとしたら、
そうしたら——!」
大崎「落ち着いてください。一体何が……」
動揺する大家に代わり、警官が答えた。
警官「空き巣です。
外出した隙に、金庫を持って行かれました」
大崎「!」
大家「大崎さんの部屋は無事かしら!?」
慌て二階へ駆け上がる。
自分は箪笥の引き出しに小さな金庫を入れ込んでいる。
……中身は無事だった。
大家「待って大崎さん!
ダイヤルが解錠されているわ!」
大崎「最初から番号は設定していません」
大家「それって、ただの箱じゃない……」
確かに不注意だ。
金庫の中身は自分のものだけじゃない、
日出君の印鑑や通帳も入っている。
盗られていたらと想像するだけで背筋が冷えた。
警官は全ての部屋に立ち入り、
犯人の痕跡を探した。
一通りの捜査を終え、彼らは帰っていった。
大家はしっかりと玄関を締める。
まだ恐怖に揺らぐその目を、
自分へと縋り付かせた。
大家「大崎さん——いいえ、探偵さん。
犯人を推理できますか……?」
自分は少し目を伏せ、
犯人の足取りを想像した。
——靴跡からして犯人は一人。
侵入経路は、大胆にも玄関。
大家が鍵を締め損ねたためだ。
大家『だって家に帰るまで、
10分もかからないと思って……』
犯人の足跡は一階に集中。
二階へ上がった形跡はない。
ここから推察される犯人像は——
大崎「金の在処。
人の出入り。
それらを知っている者」
顔を見せないということは、
顔が知れているということだ。
深夜。
布団の中で、瞼を閉じられずにいた。
探偵と用立てられてから、
思考が、視界が、冴え渡っていく。
……私事とはいえ、やはり探偵らしく、
真実は「足」で稼ぐべきかもしれない——
翌。
8月15日、水曜日。
仕事に出たふりをして、
垣根の角から玄関を見張る。
男が道角に立っているだけで怪しまれるが、
そも近所の人間なので軽い挨拶で済んだ。
まず、隣室の大学生が出た。
実は学生か浪人生かわからない男だ。
それから大家の笑い声が聞こえてきた。
庭に洗濯物を干している。
話し相手は日出君だろう。
しかし内容も、彼の声も、こちらにまでは届かない。
正午。
一年で一番静かな時間が訪れる。
自分は空を見上げていた。
雲一つ無い晴天と。
張り巡らされた電線。
それらをすり抜けて、
蝉の声が高鳴っている。
全て、白昼夢のようだった。
戦後、自分は運良く新木場さんに助けられた。
彼に手配された夜間学校を、一度も休むことはなかった。
分からないことがあるたびに
新木場さんを頼った。
新木場さんは——父は、
先回りして教科書を読んでいて、ふりがなを残してくれていた。
良い父だった。
では自分は、
日出君の良い兄になれているだろうか。
日出君は質問をしない。
自分と同じナポリタンを頼まない。
手鏡を見て、己で己の汚れを拭えてしまう。
赤の他人であると思い知る。
思い知った途端、
彼の何者かになりたいと、
願っている自分に気づく——
夕方。
学校が始まる時間。
日出君は家を出た。
その歩みは学校とは違う方向へと進んでいく。
彼はすれ違う人の顔も、
ましてや夜空の星も見なかった。
ただただうつむいて、
けれど迷い無く、どこかへ向かって歩き続ける。
その歩みは町を抜け、土手へと上がっていった。
真横には、黒く大きな相模川。
風のない水面に、
鉄橋を走る電車の光が写し取られる。
ここでも日出君は、深い川辺を見つめ続けた。
その影が、今にも吸い込まれてしまいそうになった時——
大崎「日出君」
自分は彼を呼び止めた。
彼はすぐに振り返った。
つけられていたことに、
少しは慌ててくれると思ったが、
驚くことも、落胆することもなかった。
電気屋の窓越しに見た表情と同じ、
「わかりきった」目だった。
大崎「早くに仕事が終わり、散策していたんです」
日出「……」
大崎「君はどうしてここに?
学校は?」
日出「……」
大崎「勉強が嫌になりましたか?」
言葉の途中で、彼は首を振った。
その視線を再び川辺へ落とす。
逸らした、とも違う、何かを探す目だった。
自分はそっと近づき、腕を差し出した。
言葉の代わりの筆談だ。
すると彼の指が意外な言葉を記した。
大崎「——ほたる?
蛍を、探していたんですか?」
彼は困った表情になって頷く。
大崎「蛍が飛ぶのは7月です。
8月半ばまで生きているのは稀ですよ」
心底残念そうだ。
つまり日出君は、
昨日も一昨日も川へ来て、無謀にも蛍を探していたのか。
大崎「蛍が見たいだけなら、早く言ってくれれば——」
日出「!」
強く首を振られてしまう。
どうやら、今、蛍を探すことに意味があるようだ。
大崎「少なくともここにはいません。
ここは河口ですから、
海水の混じる汽水域に、蛍は生息できないんです」
日出「??」
大崎「川は一方的に流れているようで、
海からも押し返されているんですよ」
理路整然、順序立てて諭してしまう。
案の定気落ちさせてしまったが、
すでに、自分の中には代案があった。
大崎「花水川ならいるかも知れません」
日出「……?」
大崎「平塚には、もう一つ川があるんです」
そこまでには少し距離がある。
自分たちは家に戻り、
大学生から自転車を借りた。
日出君を後ろに乗せ、夜の町をひた走った。
沈黙が風に薄れていく。
ペダルを漕ぐ毎に、
問題から遠ざかっていくような心地になる。
今なら、言えなかったことも言える気がした。
大崎「嘘をついて学校を休むなんて、
意外に大胆なんですね」
日出「……、」
大崎「授業は退屈だったでしょう。
君の筆記能力から、察するべきでした」
シャツを掴む手がもじもじと動く。
言葉が無くても、それだけで、彼の謝罪が汲み取れた。
大崎「怒りませんよ。
春は曙。夏は夜。ですから——」
花水川に着いた。
こちらの川は浅く、
草の匂いも濃い。
自分たちは河川敷へ降りた。
しばらくは何も見えない、
闇ばかりが広がる。
けれどそのうち、一つの光が横切った。
二つ、三つと集い始める。
はたして蛍は飛んでいた。
目をこらしてなんとか見つけられる、わずかな数だ。
探さなければ出会えない光だった。
大崎「この川は蛇行しているので、
海が近くても、海水が混じりにくいんです。
上流へ行ってみますか?
静かな場所なら、蛍がもっと——」
日出君は首を振る。
その場に屈み、目の前の蛍に食い入った。
触れようとせず。
捕まえようともせず。
無言のまま、蛍に目線を合わせる。
大崎「……そうですね」
自分もようやく、彼の目的がわかる。
自分も同じ気持ちで、蛍の呼吸を眺めた。
大崎「きっとこの光のどこかに、浪蓮さんはいます」
人の魂が帰る、盆の時期。
今年は忙しさにかまけていたことを反省する。
来年も再来年も、自分らはここへ来て探すのだろう。
自然の中に、会いたい人の面影を。
日曜。
犯人が捕まった。
大家の金庫が玄関に戻ってくる。
警官の立ち会いのもと、
大家は慎重に蓋を開いた。
通帳。
ブローチ。
ネックレス。
そして、遺影——
大家は何より大切そうに、夫の写真を掻き撫でた。
警官「犯人は金庫を解錠できなかったようです。
壊される前で幸いでした」
大崎「犯人の身元は?」
警官「大崎さん。
あなたがくださった、人相書きどおりの男ですよ」
やはりだ。
警官「犯人は訪問販売を装って家へ上がり、
家庭環境を聞き出していました。
最近は、蛍光灯スタンドを売り歩いていたようです」
大家「買いました! 私! 蛍光灯スタンド!
それにあの時、余計なことをたくさん話したわ……」
犯人は家の出入りを聞き出して、住人の留守を狙った。
さらに商品の販売時、
家主が金を取りに向かう部屋の動線までも見逃さなかった。
だから、短時間で迷いなく窃盗を行えたんだ。
それにしても、と。
警官の目が日出君に向く。
警官「お手柄だよ、日出君」
彼は階段下に、ちょこんと座っていた。
警官「14日の夜、大崎さんが署へ来て
怪しい販売員の情報をくださったでしょう。
15日の昼、この子も電話をくれていたんです」
大崎「日出君が、電話を……?」
警官「それはもうハキハキと、
犯人の会話や手口を教えてくれました」
大崎「ハキハキ……」
警官「次に犯人が出没するだろう、
家の目星までつけてくれたんです。
おかげで現行犯逮捕にこぎ着けました」
己の話だというのに、
日出君はそそくさと二階へ上がってしまった。
警官「たくさん褒めてあげてくださいね」
自室へ戻ると、
机に向かう日出君の後ろ姿があった。
蛍光灯スタンドの位置には、
自分の古した白熱灯のスタンドが戻してある。
彼はいつものように原稿へ向かい、
鉛筆を走らせていた。
大崎「勇気もあるんですね」
日出「……」
大崎「立派です」
日出「…………」
大崎「でも今回は、自分のほうが一歩早かったですね」
日出「……………」
大崎「いえ。
君は金庫を取り返すために、
その頭脳を働かせたんですね」
犯人を見つけようとしたのではなく、
大家の金庫を取り返す、
そのためだけに行動したんだ。
日出君は浅く振り返った。
唇を小さく結び、
鼻はつんと高く、
顔中が赤い。
日出『頭脳を働かせたっていうか、
こんなの朝飯前ですけど?』
という、複雑かつ幼い、少年の得意気な表情だった。
こんな雄弁な照れ方もするのかと、
彼の新しい一面に、思わず笑ってしまった——
神奈川県平塚市
未亡人の大家と、
人見知りの大学生と、
しがない探偵と、
探偵小説家志望の中学生の夏は、
まだ終わりそうにない——
「湘南十景 -蛍-」1956.日出ルート
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