「…この世には2種類のホテルがあることを、君は知っているか」
「え?」
「ラブがつくものとつかないもの。
直訳して愛があるかないか。
Y字路の迷い道に立たされた時
人は無意識に字数の多い看板を選ぶ。
情報を取捨し危険を回避する力は最大の護身だ」
長い沈黙を破って繰り出された言葉は、
あたしじゃない誰か……そう、自分自身に向けての言葉だった。
史郎は時々こういうことがあるの。
「たがことラブホテルに関しては留まっていただきたい。
「愛」という付加的要素があるからといって易々と選んではいけない」
「じゃあラブのつかないホテルにする?」
「それも違う」
「それも違うの?」
「男ならばY字路を引き返し、
マイホームを買うんだ。
この世には2種類のホームがあることを君に知っていて欲しい。
スイートがつくものとつかないもの。
直訳して愛があるかないか。
選ぶべきはスイートホームだ。
いいかスイートホームだ。
僕が選んだのももちろん、八雲立つスイートホームだ。
忘れてくれるな。家も作れない男に家庭を守れるはずがないってことを」
何を言っているかわからないけど。
「そんなにラブホテルが嫌い?」
あたしの要約を聞いて、史郎はゆっくりまぶたを開いた。
ハンドルを握ってずっと塞ぎ込んだまま、もう二度と起きてくれないかと思ったわ。
それから少し遅れて、あたしの言葉に頷いた。
「…大嫌いだ」
ここは道玄坂上。ラブホテルの地下駐車場。
車庫入れして25分が経過してる。
あたしは1秒でシートベルトを外したというのに、
史郎は今にもアクセルを踏みそうな構えを保ってる。
「大嫌いだッ…」
「二回も言う」
ラブホテルへ来たのは今日が初めじゃない。
史郎の「初めて」を奪っちゃったあのラブホテルに、何回か通ったの。
だけど史郎がラブホテルを忌み嫌う理由もよくわかる。
ある朝、鍵を返しに行くと
フロントマンは「いつもありがとうございます」と史郎に言ったのよ。
あたしなら「こちらこそ」と返すけど、
史郎は顔を覚えられたことが相当恥ずかしかったみたい。
「今思い出してもありえねぇ〜……」
やっぱり、傷になっていたのね。
「あなたが可愛くて、つい声をかけちゃったのかも。
彼は新人だったのよ」
「○×△〜〜〜!!」
史郎の早口はだいたい聞き取れない。
言っていることはわからないけど、賢く見えてあたしは好きよ。
きっと頭が良いせいで
普通の人じゃわからないところにも気が回ってしまうのだと思う。
悪いところも、恥ずかしいところも。
あたしは黙ってうなづいて、史郎が落ち着くのを見守った。
「……誰にも会いたくない」
どれだけ繕っても、それが本心ね。
「ラブホテルって2種類あるのよ」
史郎の言葉を借りて、
なるべくわかりやすく。なるべく短く。
そう心がけて伝えたら、どうにか顔を上げてくれた。
だけどまだ、視線はフロントガラスより向こうの暗がりにある。
「ガレージがあるかないか。
あたしたちが今いるのはどこ? ガレージでしょ?」
直訳して、車庫よ。
「モーテルタイプのホテルはフロントに顔を出さなくていいの」
モーテルタイプは直訳して……えぇっと。
「そこの階段を登ればお部屋に向かえるわ。ちなみに自動精算よ」
自動精算は直訳して自動精算よ。
「……。…ンでンなこと知ってンだ」
「さぁ、どうしてでしょう」
史郎はハンドルに横顔を乗せて、あたしをじっとりと見つめた。
ホテルに詳しい事、失言だったかしら。
でもここに来てやっと目が合う。
「お部屋選びは停める場所で決めるの。
高いところに停めてくれたから、知っているのかと思った」
「…知るわけないだろ」
「きっといい部屋よ」
本気で怒らせてしまう前に車を降りる。
あたしが一歩階段を踏む頃に、
史郎の一歩が後をついてきた。
階段を抜けるとホテルの廊下へ出た。
緑のカーペットは短い夏芝のようで足の裏が心地いい。
史郎は律儀にスリッパのまま、
躊躇いがちに廊下へ出て。戸惑いがちに追いかけてくる。
振り返らなくてもその足音から不安が伝わった。
駐車場の空きは数えるほどだったのを思い出す。
各部屋が防音扉みたいでよかったわ。
雄叫び一つ聞こえたら、史郎は動けなくなってしまうでしょうから。
「羽蘭たち、今頃チャイムを鳴らしているわ」
「気の毒だな」
「あなたが言うと嫌味に聞こえる、」
「嫌味だ。同情するわけないだろ」
羽蘭たちもどこかいい寝床を見つけてくれているといいけど。
「……、」
「せめてあなたの写真を撮っておきたかったわ」
「夢にしておくんだろ」
「そうだったわね」
廊下の突き当たりがあたしたちの部屋。
ドアの前で予定なく振り返れば、油断していた史郎は困り顔を見せた。
それからすぐに眉をつり上げ、
いつもの厳しい顔を作る。
先に入るよう促せば、
彼は足早にあたしの横をすり抜けた。
部屋は緑のネオンが焚かれていた。
下から上へ、だけど天井の暗がりまでは届いていない。
天蓋をつけた白いベッドは、
まるで南国で休むお姫様の寝床みたいだった。
「……!」
扉を閉めたら意外に大きな音が立って、
史郎の体が真上に弾む。
……気をつけないといけないわね。
「おいッ!」
大声をあげられる。
立ちすくむ肩をそっと抱いただけなのに。
史郎は勝手に苦しんで、けれどあたしのせいみたいに低く唸る。
あたしは唇で音なく髪をかき分けて、そっと耳の根を食んだ。
「このお部屋でシていい?」
「……!」
…あたしといるせいで発情して、
我慢できる状態じゃないこと。わかっているのよ。
「他の部屋にする?」
「どこでもいい……っ」
「だって史郎、ベッドにこだわりあるみたいなんだもの」
「…こだわりじゃねぇ」
「巣作りに凝るなんて、史郎って本当にウサギさんね」
「ど、動物図鑑で僕を語るな……!」
素直になって欲しくて、
シャツの上に手をすべらせる。
「…!!」
膨らんだ乳首を見つけて転がしたら、
しおらしくうつむいた。
「じゃあ、シちゃうわね」
…最後の確認に、史郎は抵抗しなかった。
「こっちを見て」
「……、」
少し上向きに。振り返るようにしてあたしを見る。
それから下唇を巻き込んだ口をあたしに差し向けた。
キスしてなんて一言も言っていないのに、
精一杯の「おねだり」が可愛くて……。
「っん…、」
優しく唇をこじ開ける。
途端に史郎の甘い匂いが濃くなって、
あたしの肺と脳に深く染みつく。
……もし今日が本当に夢で、
何をしても許されるなら。
シャツを破りベッドにも行かず襲っていたかもしれない。
だけど大切なあなただから、痛いことは決してしないわ。
「……、…?」
唇を離せば、爪先立ちになってまでキスの続きをせがんでくる。
あたしだって苦しいこと、わからないのかしら。
「自分でボタンを外して」
言われるがまま、史郎は一生懸命ボタンを外す。
上手に前を開けたら、耐えきれないという目であたしを見上げた。
「早く、しろよ」
「……、」
また一段と濃くなる。
本当に、夢だったらいいのに…。
「!」
危うい足取りで壁にもつれ込む。
史郎の背を壁に押し付けて、
逃げ場のない口づけを強いてしまう。
砕けそうな腰を支えることで、
あなたのせいにしてしまいたい気持ちを押し殺す。
……キスで発するような喘ぎじゃない。
今の史郎にとってキスは、行為と同じ感度になってしまっている。
「……っ、」
ふいに力なくあたしの胸を押してくる。
気づいて体を離してあげたら、彼は短い距離で睨みを効かせた。
「これ以上……っしないからな」
…めまいを覚えるほどの匂い。
「キスだけだ」
きっと、あたしにされちゃう妄想をしているのに。
「試させろ…」
あたしの首に両腕を回し、腰元を擦り寄せてくる。
「キスだけで我慢できたら……僕の理性の、勝ちだ」
「そう」
「僕が、ちゃんと理性でお前を…ぁっ…、……ん!」
「おかしな人ね」
お望みどおりのキスで、憎まれ口をふやかす。
水音を上げるたび鳴いて、
立っていられずにあたしにもたれてくる。
息継ぎのために顔を逸らしたら、すぐに腕で首を締めてくる。
飼い犬の首輪を引っ張るような、遠慮のないそんな仕草だった。
「逃げるな……、」
「心外ね」
「ん……っ、」
体温が上がるごとに口づけが深まっていく。
史郎は薄目を開いていて、
あたしの目や口ばかり確かめていた。
「すきだ。すきだぞ」
「……、」
……。
「……好き……」
今、告白する時間じゃないのだけれど。
感極まってしまっている史郎が可愛くて、
あたしも少し進めたくなった。
「!!!」
乳輪ごと乳首を引き絞る。
史郎は痛くも甘い刺激に驚いて、
あたしの顔に熱い嬌声を吹きつけた。
「っ……、ば、かっ…」
人差し指の節と親指の腹で、こりこりと乳首を転がす。
はじいたりくすぐったり、
普段は嫌がる愛撫も素直に飲み込んでいく。
……我慢に付き合ってあげようと思ってた。
だけど苦しそうに喘ぐ史郎を見ていたら、
何をしてあげたらいいかわからなくなる。
「…シちゃだめ?」
「だめ…っ…だ……」
「ずっとエッチな妄想してるでしょう」
「……してねぇよ」
いい加減プライド捨てて。
「匂いでバレバレよ」
「!」
「いつもより鼻が効くみたい」
「ち、違……っ」
本当にバレてないと思っていたみたい。
両手をズボンに差し入れてお尻に触れる。
しっとり汗ばんだ肌は柔らかく、あたしの指を深く沈めた。
「…、……!」
「甘い匂い」
「っまた、嘘…」
「いいえ。……あたしがいなかったら、
匂いを嗅ぎつけた他の男たちに食べられちゃってたかも」
「は……、」
「史郎はおちんちんが大好きだから。何本あっても困らないわね」
そんなことはあたしがさせないし、
そもそも目論む相手は大事なところを切断しちゃうんだけど。
「……〜」
「あら涙目」
「僕がお前以外とするわけねぇだろ……!」
「ウサギのあなたは決められる立場にないのよ?」
あなたの被食者的生き方に、いつもハラハラしているの。
「!」
胸ぐらを掴まれる。
だけどやっぱり力はなくて、形だけの抵抗だった。
あたしの本音に史郎はやっぱり怒っている。
「お前も、証明しろ……」
「何を?」
「理性で僕を、愛していッ!!?」
「愛してるわ」
「指入れるなぁッ!!」
束ねた指を動かせば、史郎の方から腰を押し付けてくる。
「あっ…!」
「あなたの好きなところ、指じゃ届かないみたい」
「…ばっ…、…か……やろ……!」
指を上下させて。
「いっ、しき…!」
理性の内側にヒビを入れる。
「…早く楽にしてあげたいの」
「!」
「苦しいでしょ」
泣いている史郎を、見ていられない。
足元をすくって体を抱き上げ、ベッドに運ぶ。
もっと丁寧に扱いたかったけど、
窮鼠の暴れっぷりにどうしようもなかった。
仕方なく跨った上で、ネグリジェを脱ぎ捨てる。
史郎は獣を前にしたように驚き、目を見開いた。
自分であれだけ擦り付けて、あたしを大きくさせといて。…ちょっと遺憾だわ。
「……!」
背中を向けてあたしから這いずる。
逃げ腰を掴めば意図せずズボンを引き下ろしてしまった。
……ウサギの鼻のように、ひくひくと揺れる丸い毛玉。
髪より暗い色の、その尻尾。
こ、この胸のざわめきは何。
尻尾と腰が少し上を向く。
相手を受け入れようとする、動物的な交尾の体勢だった。
「!」
史郎が可愛いと思われたくないのはわかってる。
思っていると思うだけで恥ずかしくなっちゃう人なのよ。
……だからできるだけいつもように、いつもの夜と同じように。
「したくないっ……!」
「…すぐ終わるわ」
「入っ………て、…!」
ローションもつけていないのに、
あたしを簡単に飲み込んでいく。
ぴったりと足が閉じられているせいで、
柔らかくも程よく締め付けられる。
…痛くないか、辛くないか。
気持ちいいのは錯覚じゃないか。
それを見極めてから、あたしは腰を動かした。
「ぃっ……!」
半ばから一気に突き上げる。
「あっ…ぁっ! ……ッ…!」
打つたびに体が弾み、史郎の尻尾が揺れる。
「尻尾触るなァッ!!!」
!?
あっ!
本当だわ、無意識に握ってた。
「ごめんなさい。猫科のサガみたい」
「ん……っ!!」
尻尾を手で追うのだけは我慢できない。
ここは減るもんじゃないし、ちょっとくらい許してくれないかしら。
すると史郎は悔しそうに呻いた。
「ぅうううぅ〜…!」
「……?」
「キスだけだってっ……言ったのにぃ……!」
「俳句みたい」
「辞世の俳句だっ…」
「史郎は頭がいいのね」
早くなる収縮を感じて、激しくする。
「! ば…か……!」
「……、」
「馬鹿……っ馬鹿…!」
だけどなかなか、イかせてあげられない。
だけど今の史郎がどうされたいか、手に取るようにわかる。
…あたしは彼の首筋に、柔らかくキスを落とした。
「…全部あなたのためよ」
「!!!」
動物がするのと同じように、
強く、牙を突き立てた。
「〜…!」
「…っ……、」
史郎の腰元に熱が垂れる。
あたしも彼の奥底に、安堵を漏らしてしまっていた。
史郎は自分の耳を握りしめ、
痙攣とは違う、涙の嗚咽に頭を揺らしている。
彼の体はあたしを引き止めるように吸い付いて、
抜いた後も上向きのまま固まった。
……でもよかった。
「おとなとよむ動物図鑑」によれば、
ウサギはあんまり激しい交尾をすると気を失ってしまうらしいから。
史郎は膝を抱えてころんと横になり。いつもの不機嫌な横顔を見せた。
「ちょっとは楽になった?」
「……」
痛そうなほど、赤く腫れて膨らんだまま。
史郎は慌てて体を丸くした。
仕方ないわと微笑めば、史郎は悔しそうに歯を食いしばった。
「こっちを見て」
「…うるさい」
「あたしが悪者に見える?」
「……」
たくさん無理をさせたけど、
食べたりなんかしなかったでしょう。
それに……。
「本能ってそんなに悪いものかしら」
「……、」
「いつも本能であなたを愛しているのだけど」
本能を本能でコントロールすることだってできるのよ。
あなたを愛する気持ちで、どんな我慢だってできるの。
……尻尾へのウズウズは我慢できないけど。
これからも傷つけないって信じて欲しくて、
その頬や肩に優しい口づけを落としていく。
すると史郎はあたしの腕の中で寝返りをうった。
無防備な背筋と物欲しげな目をこちらに向け、口先を尖らせる。
「お前の本能もその程度かよ……」
「!」
「全然、満足できねぇんだが?」
「あら……」
丸い尻尾がくるくる揺れる。
あたしを惑わせようと、意図的だわ。
「……動物図鑑、ちゃんと読んだ?」
「読んでねぇ。あれは客の暇つぶし用だ」
子供向けにしてはディープな内容だと思ったわ…。
「虎って1日に50回以上交尾するのよ」
「…は、」
「動物図鑑の知識。今日で塗り変えちゃいそうね」
脅しのつもりで言ったのだけど。
史郎は睨みつつも頬を赤くして、またくるくるくると尻尾を揺らした。
*
……史郎、ちょっと固くなったわね。
平べったくもなったし、体温も低くなったんじゃないかしら。
だけど良い事もあるわ。肌が前よりすべすべになったと思う。
……、……うん。良いところはそれくらい。
おかしいわね。
朝には戻るって聞いたけど「元に戻る」とは言ってなかったかもしれない。
大丈夫よ、あたしはどんな史郎も愛せるから。
…え?
あたしも平べったくなってるし、こんなあたしは嫌?
嫌だわ。史郎に嫌われたくない。
それなら犯人を見つけ出して、おしおきしなきゃいけないわね……。
「……」
目覚めたあたしは、
今まで自分が夢の中にいたことを知った。
史郎の髪に触れたかった手は空回り、冷たいシーツの上に落ちている。
シーツには手櫛で何度もなぞった跡ができていた。
さっきの夢はこのベッドのせいね。
……それにしても。つい可愛がってしまう癖があるのだけれど、
夢の中でも触れていたいだなんて、あたしもまだまだ子供っぽいわね。
シーツを掌で均してから、シャワーの音がする方へ体を起こした。
「おはよう」
あたしに気が付きながらも振り返らず、
シャワーを浴びて忙しそうに髪を洗っている。
焦茶の濃い髪色の中に白い耳が見えて、あたしはほっと息をついた。
浴室を出ようとすれば「おい」と引き止められる。
「……おかしなところはないか」
「えぇ。いつもの史郎よ」
「僕のことじゃねぇ。お前のことを聞いてんだ」
「もうなんともないわ」
「……」
史郎はシャワーを止める。
オールバックにかき上げた髪を振り返らせて、
あたしの手からタオルを取った。
…黙っていると美しくて、怖い人に見える。
その目は鋭利で。
その唇は煙草を欲するためだけにあるよう。
キスをねだってた可愛い史郎の面影はどこにもない。
「あたしも浴びるわね」
「…かがめ」
「?」
言われるがまま背を丸めれば、唇を重ねられた。
1秒もない、おはようのキス。
あたしにときめきだけを残して、彼は浴室を出て行った。
「……。…はぁ」
…こんな不意打ち、ずるいわ。
乙女心を隠すため
冷たいスコールを頭に浴びた。
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